なぜ明治5年太政官布告第342号は不自然なのか
「再検討」経緯①ii)明治六年太陽暦頒暦案冒頭部 ( ①i) は塚本明毅の建議書 )
・明治六年が皇紀2533年であると記載あり
・年初の月は「正月」ではなく「一月」
・歴代天皇祭は「補論」方式(4)―明治六年太陰太陽暦の日付
明治五年太政官布告第337号「改暦の布告」
・明治六年が皇紀2533年であるとの記載なし
・第5条は「補論」方式(2)
明治五年太政官布告第342号 「太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラル…」
「ニ付十一月二十五日御祭典」とあり、“定め”ること自体の布告でない
従来、もともと歴代天皇祭は方式(1)を採用するつもりだったが、間に合わなかった
ので明治六年太陽暦では方式(4)によったとされていましたが、少し違った可能性に
ふと気づきました。
(1) 経緯①ii)を作成した際(明治5年11月3日以前)に方式(2)の不都合に気づいた。
↓
(2) 第337号を布告(11月9日)
↓
(3) 歴代天皇祭は方式(1)によることにした。
↓
(4) 方式(1)による推算には長期紀年(過去へ遡って計算するための「数学的な絶対座標」)が必要。
↓
(5) 第342号を布告(6日後)
という順序関係だったのではないか?
経緯①ii)に皇紀の記載があるのだから、もともと歴代天皇祭を方式(1)で行うつもりで
あれば第337号で「太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メ」てもよかったはず。
以前から第342号が“定め”ること自体の布告ではなく、御祭典の告知であることに
不自然さを感じていたのですが、この順序であれば、推算を行うのは一般人ではなく
内輪の人間であったためであり、第342号の文書性格も自然に理解できます。しかも、
この布告の主題が抽象的な紀年法ではなく“御祭典”であること自体、同布告の関心の
中心がどこにあったかを端なくも示しているように思われます。
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2025-09-05 祝祭日の日取り
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ので明治六年太陽暦では方式(4)によったとされていましたが、少し違った可能性に
ふと気づきました。
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↓
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↓
(3) 歴代天皇祭は方式(1)によることにした。
↓
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↓
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以前から第342号が“定め”ること自体の布告ではなく、御祭典の告知であることに
不自然さを感じていたのですが、この順序であれば、推算を行うのは一般人ではなく
内輪の人間であったためであり、第342号の文書性格も自然に理解できます。しかも、
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