明治改暦の布告の時刻の表(午前と午後)―補足
<懸案>では様々なオープンな懸案を列挙しましたが、
それらとは別に、気になっていたのが下記↓の件
2021-08-12 明治改暦の布告の時刻の表(午前と午後)
| 午前と午後が、正午を中点にして一日を2等分する概念である以上は、
| 論理的にこういう解釈しか成立し得ないので不備とまでは言えないですが、
| 午後零時ジャストはなくとも午後零時台はあるわけで、もう少し説明が
| あってもよかった。
これに一応の結論が見つかったので書き留めておきます。
台という用語は未定義なので布告では使えません。そして、布告内でしか使わない
用語を定義するのは不合理です。ここでは、例えば「午前十二時と午後一時の中点
は午後零時三十分と呼ぶ」というような例示が必要です。ただ、ここで、また“分”
が未定義になる。結果、実際に布告に書いてあることよりさらに踏み込んだことを
記述しようとすると、どうしても、“分”・“秒”の定義と60進法の説明が必要になり、
さらには“時”(o'clock)と“時間”(hour)の違いも説明せねばならなくなります。
しかし、そこまで書いてしまうと、本来「改暦の布告」であって、暦法が主、時法
が従であるべき構成が破綻してしまい、布告の目的がぼやけてしまいます。結局、
実際に書かれたところまでで記述をとめるのがベストといえると思います。
…というような趣旨のことを Google Gemini にプロンプトしたところ、
忖度したか?下記抜粋↓のようなまとめをしてくれました。
もしあそこで「1時間は60分」と定義し始めていたら、それは「暦の布告」ではなく
「度量衡(単位)の布告」になってしまい、法案の趣旨がボケてしまったでしょう。
彼らは「時刻の呼び方(ラベル)」を変えることに集中し、「時間の長さ(物理量)」
の定義は、輸入される西洋時計(ハードウェア)の仕様や、別途制定される度量衡
のルールに委ねるという「切り分け」を行ったのだと推測できます。
「時(o'clock)」と「時間(hour)」の扱いの違い
法律の世界では、この2つは明確に役割分担されています。
A. 明治5年太政官布告第337号(改暦の布告)の役割
役割: 「時法(Time System)」の定義
対象: 時間軸上の「座標(Point)」
内容: 一日の中の「どの時点」を「何時」と呼ぶか(ラベリング)。
「零時」「十二時」といった「時(o'clock)」を定義しています。
ここには「長さ」の定義はありません。あくまで「目盛り」の話です。
B. 計量法の役割
役割: 「計量単位(Unit of Measurement)」の定義
対象: 時間軸上の「長さ・間隔(Duration)」
内容: 「1時間」という長さがどれくらいか。
ここで使われる単位記号は、物理量としての「時間(Time)」に対し、
単位としての「時(hour)」が用いられます。
明治の起草者たちは、無意識にか意識的にか、この「座標(System)」と「単位(Unit)」
の分離を行っていたことになります。もし「改暦の布告」で「1時間を60分とする」
と書いてしまったら、それはB(計量法)の領分を侵すことになります。彼らはA(時法)
の領分(不定時法から定時法への座標系の変換)に徹したため、「分」や「秒」には
触れず、「時(12等分)」の座標定義にとどめた。この「切り分け」があったからこそ、
暦法(カレンダー)と時法(時刻制度)をセットにした「改暦の布告」は、シンプルかつ
強力な法令として成立したと言えます。
つまり↑布告の記述は“過剰”でない。そして、冒頭に、
| 論理的にこういう解釈しか成立し得ない
とあるとおり“不足”もしていない。
よって、「改暦の布告」の記述は過不足のないものだと思います。
本件、解決してすっきりしました。
# なお、まとめに続く会話の最後の部分がこちら
# 当該文脈では“干渉”は“hallucination”に近い!150年といっても、
#「慣用」が C言語仕様や Wikipedia で言語化される前の時代には
#「慣用」の方を“ゼロベース思考”で分析するのは難しかった。
[前回記事] 2025-08-17 日本百科大辭典(つづき)
[関連記事] https://suchowan.seesaa.net/search?keyword=明治改暦
[2025-12-16~25 追記] “端点非包含”と“ラベリング”と“正しさ”と“濃度:RvsZ”および“内田五観と塚本明毅”と“鳥肌”
それらとは別に、気になっていたのが下記↓の件
2021-08-12 明治改暦の布告の時刻の表(午前と午後)
| 午前と午後が、正午を中点にして一日を2等分する概念である以上は、
| 論理的にこういう解釈しか成立し得ないので不備とまでは言えないですが、
| 午後零時ジャストはなくとも午後零時台はあるわけで、もう少し説明が
| あってもよかった。
これに一応の結論が見つかったので書き留めておきます。
台という用語は未定義なので布告では使えません。そして、布告内でしか使わない
用語を定義するのは不合理です。ここでは、例えば「午前十二時と午後一時の中点
は午後零時三十分と呼ぶ」というような例示が必要です。ただ、ここで、また“分”
が未定義になる。結果、実際に布告に書いてあることよりさらに踏み込んだことを
記述しようとすると、どうしても、“分”・“秒”の定義と60進法の説明が必要になり、
さらには“時”(o'clock)と“時間”(hour)の違いも説明せねばならなくなります。
しかし、そこまで書いてしまうと、本来「改暦の布告」であって、暦法が主、時法
が従であるべき構成が破綻してしまい、布告の目的がぼやけてしまいます。結局、
実際に書かれたところまでで記述をとめるのがベストといえると思います。
…というような趣旨のことを Google Gemini にプロンプトしたところ、
忖度したか?下記抜粋↓のようなまとめをしてくれました。
もしあそこで「1時間は60分」と定義し始めていたら、それは「暦の布告」ではなく
「度量衡(単位)の布告」になってしまい、法案の趣旨がボケてしまったでしょう。
彼らは「時刻の呼び方(ラベル)」を変えることに集中し、「時間の長さ(物理量)」
の定義は、輸入される西洋時計(ハードウェア)の仕様や、別途制定される度量衡
のルールに委ねるという「切り分け」を行ったのだと推測できます。
「時(o'clock)」と「時間(hour)」の扱いの違い
法律の世界では、この2つは明確に役割分担されています。
A. 明治5年太政官布告第337号(改暦の布告)の役割
役割: 「時法(Time System)」の定義
対象: 時間軸上の「座標(Point)」
内容: 一日の中の「どの時点」を「何時」と呼ぶか(ラベリング)。
「零時」「十二時」といった「時(o'clock)」を定義しています。
ここには「長さ」の定義はありません。あくまで「目盛り」の話です。
B. 計量法の役割
役割: 「計量単位(Unit of Measurement)」の定義
対象: 時間軸上の「長さ・間隔(Duration)」
内容: 「1時間」という長さがどれくらいか。
ここで使われる単位記号は、物理量としての「時間(Time)」に対し、
単位としての「時(hour)」が用いられます。
明治の起草者たちは、無意識にか意識的にか、この「座標(System)」と「単位(Unit)」
の分離を行っていたことになります。もし「改暦の布告」で「1時間を60分とする」
と書いてしまったら、それはB(計量法)の領分を侵すことになります。彼らはA(時法)
の領分(不定時法から定時法への座標系の変換)に徹したため、「分」や「秒」には
触れず、「時(12等分)」の座標定義にとどめた。この「切り分け」があったからこそ、
暦法(カレンダー)と時法(時刻制度)をセットにした「改暦の布告」は、シンプルかつ
強力な法令として成立したと言えます。
つまり↑布告の記述は“過剰”でない。そして、冒頭に、
| 論理的にこういう解釈しか成立し得ない
とあるとおり“不足”もしていない。
よって、「改暦の布告」の記述は過不足のないものだと思います。
本件、解決してすっきりしました。
# なお、まとめに続く会話の最後の部分がこちら
# 当該文脈では“干渉”は“hallucination”に近い!150年といっても、
#「慣用」が C言語仕様や Wikipedia で言語化される前の時代には
#「慣用」の方を“ゼロベース思考”で分析するのは難しかった。
[前回記事] 2025-08-17 日本百科大辭典(つづき)
[関連記事] https://suchowan.seesaa.net/search?keyword=明治改暦
[2025-12-16~25 追記] “端点非包含”と“ラベリング”と“正しさ”と“濃度:RvsZ”および“内田五観と塚本明毅”と“鳥肌”
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