日本百科大辭典(つづき)

<再検討>178頁に、編集委員会殿の提案により、

| 江戸時代までは、月の満ち欠けと二十四節気(太陽の運行)を用いた
| 複雑なアルゴリズムによって、毎年の暦を決めていた。暦は時代に
| 応じて、陰陽寮や幕府天文方が作成していた。いずれの場合もその
| 暦作成のアルゴリズムの内容は外に布告されるものではなかった。

を追加したことに関連して、改暦時に外に布告されなかった太陰太陽暦
時代の暦作成のアルゴリズムの顕著な例として、

 2013-01-18 日本百科大辭典

を再確認してみたのですが、当該「太陰暦」の項は、下記↓ URL

 https://dl.ndl.go.jp/pid/925098/1/295

で国会図書館デジタルコレクションで読めるようになっていました!
# ただし、事前に登録した ID で NDL にログインを要します。

もし、改暦時にアルゴリズムを周知すべきという意図があれば、
アルゴリズムのうち、少なくとも、

> (五) 曆月中冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、
>    夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とす。

は、天保暦への改暦後の最初の頒暦

 https://dl.ndl.go.jp/pid/2546786/1/168

の冒頭で説明されていたでしょうが、実際には説明はされなかった。

当該「太陰暦」の項を含む『日本百科大辭典』は大正元(1912)年の
刊行で、平山条文[1]は、官暦の旧暦併記の終了後に公的な“言質”の
必要がなくなった後、平山清次氏が民間の辞典で紹介したものです。

なお、中国に関しては、

 2017-01-13 「暦法」と「カレンダー」(補足)

で紹介した『閏八月攷』のような事例もありました。

[1] 2015-08-30 天保暦置閏法⊃平山条文置閏法(2033年問題)
 『新法暦書続編』は幕府天文方内の作業資料という位置づけでしょう。

[前回記事] 2025-08-03 「『日本暦日原典』による明治改暦に関する通説の再検討」(公開)
[関連記事] https://suchowan.seesaa.net/search?keyword=明治改暦

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