吾妻橋
https://ja.wikipedia.org/wiki/吾妻橋
>創架は1774年(安永3年)10月17日
この↑話題が、
2025-05-31 かといてよし(つづき)
| 他の日付も当該特別巻を確認したかぎりでは正確。
の続巻で言及されていました。
文庫版 p.85
>火事から二年、正式に架橋の許しが下りて着工、神無月 十四日に完成した。
>黒日 を避けて、十七日から往来が開始された。
http://hosi.org/Note/1774v を確認すると十六日が「●」即ち「黒日」です。
ただ、当該の十七日は「十し」即ち「十死日」。著者は、吾妻橋(大川橋)の
創架に関わる何らかの史料で黒日への言及を確認したのかもしれません。
こよみが生活にどのように使われ、各暦注がどのように重視・軽視された
のかを整理するには大量の事例を集める必要があるように思いました。
[関連記事] 2025-01-12 迷惑年 (←二年前の火事)
>創架は1774年(安永3年)10月17日
この↑話題が、
2025-05-31 かといてよし(つづき)
| 他の日付も当該特別巻を確認したかぎりでは正確。
の続巻で言及されていました。
文庫版 p.85
>火事から二年、正式に架橋の許しが下りて着工、
>
http://hosi.org/Note/1774v を確認すると十六日が「●」即ち「黒日」です。
ただ、当該の十七日は「十し」即ち「十死日」。著者は、吾妻橋(大川橋)の
創架に関わる何らかの史料で黒日への言及を確認したのかもしれません。
こよみが生活にどのように使われ、各暦注がどのように重視・軽視された
のかを整理するには大量の事例を集める必要があるように思いました。
[関連記事] 2025-01-12 迷惑年 (←二年前の火事)
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