七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス(補足)
2024-08-09 「『日本暦日原典』による明治改暦に関する通説の再検討」(関連記事)
に列挙された最初の記事は、
2011-09-28 七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス
ですが、これは13年も前の記事です。
現時点で読むと補足しておくべきこと↓もいくつか発生しています。
----------
●古くは…考え方は同じである
この部分を詳細に説明したのが、
2013-05-01 明治改暦当時の制度
さらに、第三者による言語化を発見したのが、
2016-04-05 「暦法」と「カレンダー」
で、この発見により、一般性を得て最終的に、
calendar_papers/市川斎宮の改暦案の紹介.pdf
の補論に反映しました。ただし、後続の研究ノートの新規性を担保するため、
「子年辰年申年」と「四千年」という「暦法議案」の「建白書」に対する差分
発見(さらには「最モ精密ニシテ」「不相見」「思惟スルモノ多カルベシ」へ
の気づき)前の段階という位置づけの記述なので、「『日本暦日原典』による
明治改暦に関する通説の再検討」2.3節第2段落のレベルの記述に留まります。
また、2011年の時点では、
calendar_papers/「七千年ノ後 僅ニ 一日」の謎(2000-03-18 暦の会発表資料).pdf
で紹介した遠日点の黄道一周当たり5連大が一組消えるアルゴリズムが、
「市川斎宮の改暦案の紹介」注20のように「市川斎宮の改暦案」と関連
付けられることになろうとは、まだ想像もしていませんでした。
●ただし、…使っただけであろう
この部分を詳細に検討したのが、
calendar_papers/『遠西觀象圖説』と「円環年」.pdf
『遠西觀象圖説』では、太陽年(平気の回帰年)と円環年(定気の回帰年)が、
概念として弁別して記述されていますが、それは取材元の天文方の見解で、
著者の吉雄俊蔵は概念や値の違いを正しく認識していたわけではないと結論
しました。天文方が概念を弁別したのは寛政暦の歳周を西洋天文学と整合
させるためで、天保暦への改暦によって弁別の意義は失われたのでしょう。
また、2011年の時点では、
2013-04-22 「塚本明毅」評伝
2023-04-16 365日5時間48分45秒
の「365日5時間48分45秒」の記述の発見前でした。塚本明毅と『遠西觀象圖説』
の関連性が切れたため、塚本明毅の認識の深さについては議論は現在もオープン
のままです。
→ 2023-04-22 「『遠西觀象圖説』と「円環年」」(余談)
●遡ると…到達する
この部分は、
calendar_papers/「七千年ノ後僅ニ一日」の謎(集録).pdf
の注15で訂正されました。麻田剛立の時中暦の当該記述は『暦象考成後編』
入手より前なので、時中暦は『暦象考成後編』を参考にしていなかった。
時中暦の文献上の根拠は不明です。ただし、麻田剛立の値が寛政暦で用い
られるにあたっては、ニュートン~ケーグラー系の値と矛盾がないことが
当然前提になったと思われます。
→ 2014-04-30 麻田剛立の「時中暦」の歳実
●観測誤差…信じがたい
これに関しては、
2012-03-18 暦の会第373回例会資料
の http://hosi.org/a/pcs/373rd(20120317)-P05.png を見ての推測としては、
ニュートンがヒッパルコスの観測結果を利用するにあたって「潮汐摩擦による
地球自転の永年減速を考慮に入れなかった」からではないかと、手書きメモを
加えて漠然と考えています。
----------
こうしてみると赤字にしたあたりの事項がここ十数年での進展と言えるでしょう。
# 赤字ボールド部は「『日本暦日原典』による明治改暦に関する通説の再検討」
# 論文版→研究ノート版の差分
[関連記事]
https://suchowan.seesaa.net/search?keyword=明治改暦
2015-04-22 山口晃さんの格言
[2024-12-04 追記]
>「今年の新語2024」大賞の「言語化」
https://x.com/IIMA_Hiroaki/status/1864166698439594046
に列挙された最初の記事は、
2011-09-28 七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス
ですが、これは13年も前の記事です。
現時点で読むと補足しておくべきこと↓もいくつか発生しています。
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●古くは…考え方は同じである
この部分を詳細に説明したのが、
2013-05-01 明治改暦当時の制度
さらに、第三者による言語化を発見したのが、
2016-04-05 「暦法」と「カレンダー」
で、この発見により、一般性を得て最終的に、
calendar_papers/市川斎宮の改暦案の紹介.pdf
の補論に反映しました。ただし、後続の研究ノートの新規性を担保するため、
「子年辰年申年」と「四千年」という「暦法議案」の「建白書」に対する差分
発見(さらには「最モ精密ニシテ」「不相見」「思惟スルモノ多カルベシ」へ
の気づき)前の段階という位置づけの記述なので、「『日本暦日原典』による
明治改暦に関する通説の再検討」2.3節第2段落のレベルの記述に留まります。
また、2011年の時点では、
calendar_papers/「七千年ノ後 僅ニ 一日」の謎(2000-03-18 暦の会発表資料).pdf
で紹介した遠日点の黄道一周当たり5連大が一組消えるアルゴリズムが、
「市川斎宮の改暦案の紹介」注20のように「市川斎宮の改暦案」と関連
付けられることになろうとは、まだ想像もしていませんでした。
●ただし、…使っただけであろう
この部分を詳細に検討したのが、
calendar_papers/『遠西觀象圖説』と「円環年」.pdf
『遠西觀象圖説』では、太陽年(平気の回帰年)と円環年(定気の回帰年)が、
概念として弁別して記述されていますが、それは取材元の天文方の見解で、
著者の吉雄俊蔵は概念や値の違いを正しく認識していたわけではないと結論
しました。天文方が概念を弁別したのは寛政暦の歳周を西洋天文学と整合
させるためで、天保暦への改暦によって弁別の意義は失われたのでしょう。
また、2011年の時点では、
2013-04-22 「塚本明毅」評伝
2023-04-16 365日5時間48分45秒
の「365日5時間48分45秒」の記述の発見前でした。塚本明毅と『遠西觀象圖説』
の関連性が切れたため、塚本明毅の認識の深さについては議論は現在もオープン
のままです。
→ 2023-04-22 「『遠西觀象圖説』と「円環年」」(余談)
●遡ると…到達する
この部分は、
calendar_papers/「七千年ノ後僅ニ一日」の謎(集録).pdf
の注15で訂正されました。麻田剛立の時中暦の当該記述は『暦象考成後編』
入手より前なので、時中暦は『暦象考成後編』を参考にしていなかった。
時中暦の文献上の根拠は不明です。ただし、麻田剛立の値が寛政暦で用い
られるにあたっては、ニュートン~ケーグラー系の値と矛盾がないことが
当然前提になったと思われます。
→ 2014-04-30 麻田剛立の「時中暦」の歳実
●観測誤差…信じがたい
これに関しては、
2012-03-18 暦の会第373回例会資料
の http://hosi.org/a/pcs/373rd(20120317)-P05.png を見ての推測としては、
ニュートンがヒッパルコスの観測結果を利用するにあたって「潮汐摩擦による
地球自転の永年減速を考慮に入れなかった」からではないかと、手書きメモを
加えて漠然と考えています。
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こうしてみると赤字にしたあたりの事項がここ十数年での進展と言えるでしょう。
# 赤字ボールド部は「『日本暦日原典』による明治改暦に関する通説の再検討」
# 論文版→研究ノート版の差分
[関連記事]
https://suchowan.seesaa.net/search?keyword=明治改暦
2015-04-22 山口晃さんの格言
[2024-12-04 追記]
>「今年の新語2024」大賞の「言語化」
https://x.com/IIMA_Hiroaki/status/1864166698439594046
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