グレゴリオ暦への変換(補足)
昨日の記事の記念講演は、
2021-07-17 グレゴリオ暦への変換(フォローアップ)
の[1]の著者の方が講演者です。
そういえば、上記記事に
| 「干支に相より簡法相立て」
とありますが、これに関してひとつ補足すべきことに気づきました。
2022-04-04 「市川斎宮の改暦案の紹介」(補足)
| 第258号
|
| 歴代天皇の命日のうち、太陽暦で日付が7月24日以降のものが列挙
7月24日というのはいかにも中途半端です。
しかも何故“以降”のみしか記載がないのか?
これは、文献史料から歴代天皇の命日の干支を確認して、簡法[1]によって
グレゴリオ暦での日付を特定する作業を、命日の月日が、11月→10月→…
というように遡る順に作業を進めていったからでしょう。
明治6年の早い時期から作業を進めていくうちに、実時間の月日が進み、
遡った月日と交錯するタイミング[2]が7月ころだった。
そして、最終的に遡りが正月に達して、紀元節などを定義する
| 第344号
が公布されたという経緯。
グレゴリオ暦と同じ置閏法を用いる決定が第258号を出す時点まで下ると
実際に現実となったスケジュールが成立しません。
[1] 2019-06-10 漏刻祭 の[過去の関連記事]参照
[2] 遡る順を採用したことで、最も早く第258号相当の布告を出せた。
[関連記事] https://suchowan.seesaa.net/search?keyword=明治改暦
2021-07-17 グレゴリオ暦への変換(フォローアップ)
の[1]の著者の方が講演者です。
そういえば、上記記事に
| 「干支に相より簡法相立て」
とありますが、これに関してひとつ補足すべきことに気づきました。
2022-04-04 「市川斎宮の改暦案の紹介」(補足)
| 第258号
|
| 歴代天皇の命日のうち、太陽暦で日付が7月24日以降のものが列挙
7月24日というのはいかにも中途半端です。
しかも何故“以降”のみしか記載がないのか?
これは、文献史料から歴代天皇の命日の干支を確認して、簡法[1]によって
グレゴリオ暦での日付を特定する作業を、命日の月日が、11月→10月→…
というように遡る順に作業を進めていったからでしょう。
明治6年の早い時期から作業を進めていくうちに、実時間の月日が進み、
遡った月日と交錯するタイミング[2]が7月ころだった。
そして、最終的に遡りが正月に達して、紀元節などを定義する
| 第344号
が公布されたという経緯。
グレゴリオ暦と同じ置閏法を用いる決定が第258号を出す時点まで下ると
実際に現実となったスケジュールが成立しません。
[1] 2019-06-10 漏刻祭 の[過去の関連記事]参照
[2] 遡る順を採用したことで、最も早く第258号相当の布告を出せた。
[関連記事] https://suchowan.seesaa.net/search?keyword=明治改暦
この記事へのコメント