大坂・大阪(つづき)

枚方すずめさんより、標題の件について、伊吹順隆『大坂と大阪の研究』(1979)
という論考があると教えていただきました(→Errata)。

同論考によれば、

 「大坂」の初見は河内小松寺修二会保延五(1139)年奉加帳にある「大坂郷」(p.15)
 「大阪」の初見は箕面市道標にある「大阪城五里」「安永八(1779)年」(p.96)

で、また、制度上は大阪府が成立した明治5年5月2日から「阪」だった由(p.42)。

ただし、手書きの「達」をみると、同年6月18日より前は「坂」、同日以後は
「坂」「阪」混用で、明治2年以降は「阪」が圧倒的に多くなる(p.54)。

官印・職印の類にも、一部「坂」が用いられていた(明治15年4月7日付使用例あり,p.68)。

もう50年近く前の論考ですから、その後、議論に進展があるかもしれません。

# 本書では言及されていませんが、明治元年の改元前の未来年号のものは、
# 実際に書かれたのは改元後であることにも注意を要します。

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