明治改暦のタイミング(C'案)
2021-08-12 明治改暦の布告の時刻の表(午前と午後)
| 12時制の時計のデファクト・ルールと、上記の時刻表が不一致である
2022-06-12 「午前」「午後」検索(補足)
| 明治改暦の建議を行った長崎海軍伝習所出身の塚本明毅も その経路上にいた。
デファクト・ルールを認識していたであろう塚本明毅が係わっていたにも関わらず、
あえて[1]時刻の標準に「零時」を使った別ルールを提案したというのは興味深い。
欧米と別ルールを許容するのであれば、日付の標準についても、「零月」を用いる、
2024-04-25 明治改暦のタイミング(C案)
の類似案:
1872 Dec 1st - 明治 5 11月 1日
1872 Dec 30th - 明治 5 12月 1日
1873 Jan 1st - 明治 5 12月 3日
1873 Jan 29th - 明治 6 1月 1日 [2]
1873 Feb 1st - 明治 6 1月 4日
1873 Feb 28th - 明治 6 1月 31日
1873 Mar 1st - 明治 6 2月 1日
…
1873 Dec 31st - 明治 6 11月 31日
1874 Jan 1st - 明治 6 零月 1日 [3]
1874 Jan 31st - 明治 6 零月 31日
1874 Feb 1st - 明治 7 1月 1日
(以下も、同期)
は、あり得たように思いました。
# または 明治N年12月=明治N+1年零月として同月を前後の年に両属と見なす(C”案)。
実際、明治改暦からみれば未来の規格になりますが、
2021-05-31 strftime の %U 書式
| C言語で日付・時刻を扱う構造体 struct tm での暦月の扱いは、
|
|>int tm_mon; /* 月 [0-11] 0から始まることに注意 */
というような事例が存在します。
この系列の議論、意義が薄いかと思っていましたが、「零」の扱いの分析から、
同時に提案された“日付”と“時刻”の規定を対比して俯瞰するという観点に
つなげることができてよかった。
[1] 見たはずの市川斎宮の改暦案の明治5年版はデファクト・ルール通りです。
[2] 太陰太陽暦の初月は「正月」ですが、太陽暦の初月は「1月」です。
(これは明治改暦時の変更 → 2025-01-03 「正月」と「1月」)
[3] 「午前零時」が前後の日に両属であるのに似ています。
[2024-12-08 追記]
C”案は具体的に書き下していなかったですが、下記↓のようになります。
1872 Dec 1st - 明治5 11月 1日
1872 Dec 30th - 明治5 12月 1日
1873 Jan 1st - 明治5 12月 3日
1873 Jan 29th - 明治6 1月 1日
1873 Feb 1st - 明治6 1月 4日
1873 Feb 28th - 明治6 1月31日
1873 Mar 1st - 明治6 2月 1日
…
1873 Dec 31st - 明治6 11月31日
1874 Jan 1st - 明治6 12月 1日 = 明治7 零月 1日(前後両年に属す)
1874 Jan 31st - 明治6 12月31日 = 明治7 零月31日(前後両年に属す)
1874 Feb 1st - 明治7 1月 1日
この↑案は、時刻に関して、正子を、
午前零時 = その瞬間を含んで、一日の始まり
午後12時 = その瞬間を含んで、一日の終り
と前後両日に属させる理由を、
2021-08-12 明治改暦の布告の時刻の表(午前と午後)
の五角塲説で解釈し、将来どちらを使う法律も制定可能とするための配慮と
する発想を日付に関して水平展開したものです。
| 12時制の時計のデファクト・ルールと、上記の時刻表が不一致である
2022-06-12 「午前」「午後」検索(補足)
| 明治改暦の建議を行った長崎海軍伝習所出身の塚本明毅も その経路上にいた。
デファクト・ルールを認識していたであろう塚本明毅が係わっていたにも関わらず、
あえて[1]時刻の標準に「零時」を使った別ルールを提案したというのは興味深い。
欧米と別ルールを許容するのであれば、日付の標準についても、「零月」を用いる、
2024-04-25 明治改暦のタイミング(C案)
の類似案:
1872 Dec 1st - 明治 5 11月 1日
1872 Dec 30th - 明治 5 12月 1日
1873 Jan 1st - 明治 5 12月 3日
1873 Jan 29th - 明治 6 1月 1日 [2]
1873 Feb 1st - 明治 6 1月 4日
1873 Feb 28th - 明治 6 1月 31日
1873 Mar 1st - 明治 6 2月 1日
…
1873 Dec 31st - 明治 6 11月 31日
1874 Jan 1st - 明治 6 零月 1日 [3]
1874 Jan 31st - 明治 6 零月 31日
1874 Feb 1st - 明治 7 1月 1日
(以下も、同期)
は、あり得たように思いました。
# または 明治N年12月=明治N+1年零月として同月を前後の年に両属と見なす(C”案)。
実際、明治改暦からみれば未来の規格になりますが、
2021-05-31 strftime の %U 書式
| C言語で日付・時刻を扱う構造体 struct tm での暦月の扱いは、
|
|>int tm_mon; /* 月 [0-11] 0から始まることに注意 */
というような事例が存在します。
この系列の議論、意義が薄いかと思っていましたが、「零」の扱いの分析から、
同時に提案された“日付”と“時刻”の規定を対比して俯瞰するという観点に
つなげることができてよかった。
[1] 見たはずの市川斎宮の改暦案の明治5年版はデファクト・ルール通りです。
[2] 太陰太陽暦の初月は「正月」ですが、太陽暦の初月は「1月」です。
(これは明治改暦時の変更 → 2025-01-03 「正月」と「1月」)
[3] 「午前零時」が前後の日に両属であるのに似ています。
[2024-12-08 追記]
C”案は具体的に書き下していなかったですが、下記↓のようになります。
1872 Dec 1st - 明治5 11月 1日
1872 Dec 30th - 明治5 12月 1日
1873 Jan 1st - 明治5 12月 3日
1873 Jan 29th - 明治6 1月 1日
1873 Feb 1st - 明治6 1月 4日
1873 Feb 28th - 明治6 1月31日
1873 Mar 1st - 明治6 2月 1日
…
1873 Dec 31st - 明治6 11月31日
1874 Jan 1st - 明治6 12月 1日 = 明治7 零月 1日(前後両年に属す)
1874 Jan 31st - 明治6 12月31日 = 明治7 零月31日(前後両年に属す)
1874 Feb 1st - 明治7 1月 1日
この↑案は、時刻に関して、正子を、
午前零時 = その瞬間を含んで、一日の始まり
午後12時 = その瞬間を含んで、一日の終り
と前後両日に属させる理由を、
2021-08-12 明治改暦の布告の時刻の表(午前と午後)
の五角塲説で解釈し、将来どちらを使う法律も制定可能とするための配慮と
する発想を日付に関して水平展開したものです。
この記事へのコメント