「オフィシャル」の実質(つづき)

 2020-02-25 「オフィシャル」の実質

機会があり、昨日の記事に多数過去記事を列挙しましたので2021年くらいまでの
議論の流れを整理しておきます。

十二支による表現(→江戸時代の時法のイメージ)は、

・ 定時法の (1) が*オフシャル*には「正しい」
   ↓
 しかし不定時法でしか時刻を知りえない[1]一般人は (1) は使えなかったはず。
 一般人の理解はどうだったのかエビデンスにアンテナを立ててみる。
   ↓
 事例多数
  萩藩の報時
  十二辰刻と不定時法
   ↓
・一般人の理解は不定時法の (2)(3) だった。
   ↓
 バリエーションがある。
  江戸時代の時法のイメージ(補足)(II)の「岡田資料」
  「オフィシャル」の実質 の老中と目付
   ↓
(2)(3) のどちらがメインだったかは時期や人(の階層)に依存する。
   ↓
 では、幕末~明治初年においてはどうか?
   ↓
  公務員等への指示の類に現れる時刻表現 ※ (コメント分以外にも多数) が
  出す側と受ける側で問題なく了解できる[2]通達と考えられたということから、
 ( (1)(2)(3)の何れかは判別できないが )デ・ファクトが存在したことがわかる。
 (さすがに明治期に入ってからの公務員に1時間の揺らぎは許容されないのでは?)
   ↓
 明治2年に (3) と対照させて西洋の時刻制度を説明する出版物が出ている。
   ↓
 新制度を一般に周知するという目的の文書である明治改暦の布告の「時刻表」で、
 何ら詳しい説明なしに (3) が用いられたということから、※のデ・ファクトが
 (3) だったとわかる。
 (明治改暦の布告の起草者も公務員なので ※ で勤務していた)
   ↓
・幕末~明治初年の一般人の理解は (3) だった。

ということになるでしょう。

もしそうであれば (3) は、その廃止の時点で、新制度に対比される旧制度として、
はじめてオフシャルな文書で定義されたという皮肉な経緯ということになります。

[1] 厳密には 十二辰刻と不定時法 の注[1][2]も参照。

[2] 特に、
  | ② 明治4年11月 第109号 陸運会社規則
  |  ・・・人馬夜継 酉の上刻より丑の下刻までは5割増の賃銭・・・
  が、季節に依存しないとすれば不定時法に特徴的


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