訂正情報等
昨日の補足
| 「p.N」は N 頁目のこと
などさらに情報を更新した訂正情報は下記の通りです。
----
筆者の主に用いているブログの URL が系統的に変わりました。
例えば、2015年6月8日付の、第22号「貞享暦の日行盈縮と定朔」
訂正記事は、
【旧】https://suchowan.at.webry.info/201506/article_8.html
【新】https://suchowan.seesaa.net/article/201506article_8.html
過去論考全てで同様にURLの年月日部の前後を読み替えてください。
またその他、下記論考について記述訂正が見つかっています。
第29号「市川斎宮の改暦案の紹介」6頁目 本文および注27
【誤】第334号 → 【正】第344号
第29号「市川斎宮の改暦案の紹介」5頁目 注26
【誤】40年 → 【正】140年
第25号「定気法導入の歴史」3頁目 表1
【誤】月行遅疾を発見 → 【正】月行遅疾について記述を残す
第21号「「七千年ノ後僅ニ一日」の謎」2頁目 右最下行
【誤】p.178 → 【正】p.166
----
なお、『日本暦学会』会報今号 p.7 [1] 上から8-9行に、
>こういう説明は不適切だ
という指摘がありますが、これは朝倉書店『暦の大事典』初版
p.17 右下から6行あたりの記述も同様の問題を抱えていました。
初版[2]をお持ちの方はご注意ください。
また、
2023-04-22 「『遠西觀象圖説』と「円環年」」(余談)
| グラフの春分版と秋分版
は具体的にはp.5の図1-6(春分)とp.6の図1-7(秋分)のことでした。
[1] in 相馬充「太陽暦採用から150年~太陽暦の特徴」
『日本暦学会』第31号(2024-04-01付け) pp.1-7
[2] 記録を確認すると10年前の2014年7月末に編集者に問題を
指摘しているのですが、その後の版は確認していません。
| 「p.N」は N 頁目のこと
などさらに情報を更新した訂正情報は下記の通りです。
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筆者の主に用いているブログの URL が系統的に変わりました。
例えば、2015年6月8日付の、第22号「貞享暦の日行盈縮と定朔」
訂正記事は、
【旧】https://suchowan.at.webry.info/201506/article_8.html
【新】https://suchowan.seesaa.net/article/201506article_8.html
過去論考全てで同様にURLの年月日部の前後を読み替えてください。
またその他、下記論考について記述訂正が見つかっています。
第29号「市川斎宮の改暦案の紹介」6頁目 本文および注27
【誤】第334号 → 【正】第344号
第29号「市川斎宮の改暦案の紹介」5頁目 注26
【誤】40年 → 【正】140年
第25号「定気法導入の歴史」3頁目 表1
【誤】月行遅疾を発見 → 【正】月行遅疾について記述を残す
第21号「「七千年ノ後僅ニ一日」の謎」2頁目 右最下行
【誤】p.178 → 【正】p.166
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なお、『日本暦学会』会報今号 p.7 [1] 上から8-9行に、
>こういう説明は不適切だ
という指摘がありますが、これは朝倉書店『暦の大事典』初版
p.17 右下から6行あたりの記述も同様の問題を抱えていました。
初版[2]をお持ちの方はご注意ください。
また、
2023-04-22 「『遠西觀象圖説』と「円環年」」(余談)
| グラフの春分版と秋分版
は具体的にはp.5の図1-6(春分)とp.6の図1-7(秋分)のことでした。
[1] in 相馬充「太陽暦採用から150年~太陽暦の特徴」
『日本暦学会』第31号(2024-04-01付け) pp.1-7
[2] 記録を確認すると10年前の2014年7月末に編集者に問題を
指摘しているのですが、その後の版は確認していません。
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