節月の一日を実際に一日として扱う例
2017-01-01 謹賀新年
| ひとつは興味深い単独エピソード
これは、標題のとおり、節月の一日を実際に詩で一日と表記
して扱った実例の指摘のことでした。
谷本玲大「白居易の用語「新蟬」について」
(國學院雑誌第117巻第11号(2016-11-15発行)pp.136-157
の p.145
>酬二楽天七月一日夜、即レ事見一レ寄
という詩題のある劉禹錫の詩について、立秋[1]に詠んだ白居易の詩
(p.144)に和したものなので、七月一日の一日は暦月ではなく
節月の日付と判明したというもの。他にも実例がある由。
これは結構インパクトの大きい事例です。
我々は節月を諸々の暦注の撰日に使うだけで、節月の日付を実際に
表記することは通常ありません。
ところがこの実例のように、節月の一日を実際に一日と表記して扱う
ことがあるとすると、これまで文献に現れる日付を太陰太陽暦の暦月
の日付として無条件に解釈して来たものの中に、(たまたま二十四節気
が書かれていなかったために気づかなかっただけで)ひょっとしたら
節月の日付が紛れ込んでいた可能性が出てくるわけです。
少なくとも唐代の中国に関しては、このような可能性に配慮して、
文献を解釈すべきということになります。
[1] 唐の大和7年7月13日(ユリウス暦8月2日)
| ひとつは興味深い単独エピソード
これは、標題のとおり、節月の一日を実際に詩で一日と表記
して扱った実例の指摘のことでした。
谷本玲大「白居易の用語「新蟬」について」
(國學院雑誌第117巻第11号(2016-11-15発行)pp.136-157
の p.145
>酬二楽天七月一日夜、即レ事見一レ寄
という詩題のある劉禹錫の詩について、立秋[1]に詠んだ白居易の詩
(p.144)に和したものなので、七月一日の一日は暦月ではなく
節月の日付と判明したというもの。他にも実例がある由。
これは結構インパクトの大きい事例です。
我々は節月を諸々の暦注の撰日に使うだけで、節月の日付を実際に
表記することは通常ありません。
ところがこの実例のように、節月の一日を実際に一日と表記して扱う
ことがあるとすると、これまで文献に現れる日付を太陰太陽暦の暦月
の日付として無条件に解釈して来たものの中に、(たまたま二十四節気
が書かれていなかったために気づかなかっただけで)ひょっとしたら
節月の日付が紛れ込んでいた可能性が出てくるわけです。
少なくとも唐代の中国に関しては、このような可能性に配慮して、
文献を解釈すべきということになります。
[1] 唐の大和7年7月13日(ユリウス暦8月2日)
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