江戸時代の時法のイメージ(補足)
昨日の補足が2点あります。
(I) 数え表現
イメージ図(左側)では、例えば夜明けからの1時を*範囲*で「六ツ」
と表現していますが、これは幕府天文方が編纂した天保暦の頒暦での
二十四節気などの時刻の表現に対応するものです。一般の人々は、
夜明けの瞬間を「明六ツ」、その半時後を「六ツ半」などと*点*で
認識していたと思われます。この点、留意が必要です。
この認識は (3) の「十二辰刻」の「子」「卯」「午」なども同様
だったでしょう。
(II) 十二辰刻
(2) に関して「江戸時代初期に多い?」としたのは、
>江戸時代の時刻-辰時(とき)
http://www008.upp.so-net.ne.jp/koyama_h/sirabetakoto/mojiban.html
の「岡田芳朗の資料による」が気になったからです。
ただ、『江戸の時刻と時の鐘』P.182の記述にあるように、文化5年
(1808年)の時点で、(2)と(3)の解釈が混在していたとすれば、(2)→(3)
という推移が経時的に起こったのではなく、たまたま(2)に関して江戸
時代初期の例を見つけただけなのかもしれません。
なお、「数え表現」が(2)の「十二辰刻」のように半時前から始まって
いたとしても、「明六ツ」「六ツ半」などの時刻が変わるわけでは
ありませんから(I) に留意すると、一般の人々の文献の記述で違いを
弁別することはできないでしょう。
→ 天文方についての補足につづく
(I) 数え表現
イメージ図(左側)では、例えば夜明けからの1時を*範囲*で「六ツ」
と表現していますが、これは幕府天文方が編纂した天保暦の頒暦での
二十四節気などの時刻の表現に対応するものです。一般の人々は、
夜明けの瞬間を「明六ツ」、その半時後を「六ツ半」などと*点*で
認識していたと思われます。この点、留意が必要です。
この認識は (3) の「十二辰刻」の「子」「卯」「午」なども同様
だったでしょう。
(II) 十二辰刻
(2) に関して「江戸時代初期に多い?」としたのは、
>江戸時代の時刻-辰時(とき)
http://www008.upp.so-net.ne.jp/koyama_h/sirabetakoto/mojiban.html
の「岡田芳朗の資料による」が気になったからです。
ただ、『江戸の時刻と時の鐘』P.182の記述にあるように、文化5年
(1808年)の時点で、(2)と(3)の解釈が混在していたとすれば、(2)→(3)
という推移が経時的に起こったのではなく、たまたま(2)に関して江戸
時代初期の例を見つけただけなのかもしれません。
なお、「数え表現」が(2)の「十二辰刻」のように半時前から始まって
いたとしても、「明六ツ」「六ツ半」などの時刻が変わるわけでは
ありませんから(I) に留意すると、一般の人々の文献の記述で違いを
弁別することはできないでしょう。
→ 天文方についての補足につづく
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