「オフィシャル」の実質
2020-02-20 不定時法の補足
にコメントをいただきました。そこでちょっと書き足します。
2012-10-16 萩藩の報時
|『江戸の時刻と時の鐘』P.182にも(引用は省略しますが)、老中と目付で
|十二辰刻(不定時法)の解釈にずれがあった事例が紹介されています。
これは文化5年(1808)の記録で、省略した引用を少し書き出すと、
おおよそ
老中 同六時前ヲ卯ノ中刻 → 不定時法(半時遅れなし)[1]
目付 正六時を卯ノ上刻 → 不定時法(半時遅れあり)
とするもの。幕府内の行政でも混乱があるわけです。
当時、公共交通機関がダイヤに従って運行していたわけでもなく、
おそらく一時間程度の認識の相違は、それほど日常の活動の支障
とはならなかったのではないでしょうか。
幕府管理[2]の頒暦の二十四節気や日月食の時刻表記が、
十二支 → 定時法(半時遅れなし)
ですから、これが「オフィシャル」には違いないですが、
それに、どれほどの実質があるかは解釈によると思います。
(これもまた「一時間程度の認識の相違」に埋もれてしまう)
[1] 「前」とあるので厳密には少し違う。
[2] つまり幕府が表記の揺れを許さない。
にコメントをいただきました。そこでちょっと書き足します。
2012-10-16 萩藩の報時
|『江戸の時刻と時の鐘』P.182にも(引用は省略しますが)、老中と目付で
|十二辰刻(不定時法)の解釈にずれがあった事例が紹介されています。
これは文化5年(1808)の記録で、省略した引用を少し書き出すと、
おおよそ
老中 同六時前ヲ卯ノ中刻 → 不定時法(半時遅れなし)[1]
目付 正六時を卯ノ上刻 → 不定時法(半時遅れあり)
とするもの。幕府内の行政でも混乱があるわけです。
当時、公共交通機関がダイヤに従って運行していたわけでもなく、
おそらく一時間程度の認識の相違は、それほど日常の活動の支障
とはならなかったのではないでしょうか。
幕府管理[2]の頒暦の二十四節気や日月食の時刻表記が、
十二支 → 定時法(半時遅れなし)
ですから、これが「オフィシャル」には違いないですが、
それに、どれほどの実質があるかは解釈によると思います。
(これもまた「一時間程度の認識の相違」に埋もれてしまう)
[1] 「前」とあるので厳密には少し違う。
[2] つまり幕府が表記の揺れを許さない。
この記事へのコメント
庶民と天文方は、確かに時刻に関する考えが違ったんでしょうね。
こんにちスマホもパソも勝手に時刻を合わせてくれてますが。
気がつけばhosi.org:4000と番号が増えてますね。