補足-「御堂関白記に記載された日の出・日の入り時刻の復元」

昨日の論文(研究ノート)

急いで補足しておくべきことを先に記事にしておきます。

・図2に 2015-06-06 中心差の比較(その3)の図を使ったのですが、
 最終校正時の手違い[1]で、縦軸と横軸に数値が入ってしまいました。
 このせいで本文の「1目盛」「2目盛」の意味に曖昧性が生じています。
 数値には意味がないので、書かれていないものとしてお読みください。

・注 9)に「権暦博士 中臣義昌」とありますが、これは山下克明『陰陽道
 の発見
』p.207あたりの記述から推定しました。しかし後で 2017-10-26
 (2)の一覧を見たところ寛弘6年の時点では、義昌はすでに大中臣に
 改姓していたようです。

・「おわりに」で、p.2に相当する図が、平安時代の文献を読むのに
 役に立つという趣旨のことを書きましたが、2017-10-26 (1) の、
| おそらく平安貴族たちにとって、日常生活で“分”のような細かな
| 時刻の区切りは必要がなく、時刻制度として“分”を意識すること
| はなかったのではないかと思います。
 という状況であれば、実際にはそれほど有効ではないかもしれません。

なお、2017-10-26 (2) の参考文献の、橋本万平説提示から 2013-04-01
より前の期間のものを確認したところ、やはり

 具注暦の時刻表記について(『日本暦学会』第20号,2013)()

と同趣旨のこと[2]を主張しているものはなかった[3]ようです。

[1] 印刷された状態で物理的に縦横比が1:1になるよう調整をお願いした
  ところ、文字が横長に伸びてしまうとのことで、先方に元の Excel
  シートを送るなどのバタバタがあり、結果的に元原稿では削除していた
  数値が最終校に入ってしまいました。当方は初校のみの校正だったため、
  最終校の問題に気づきませんでした。

[2] 具注暦の時刻表記が1日=12辰刻=50刻=300分という体系で、不自然さ
  なく説明できるということ。

[3] 2017-10-26 (2) の参考文献には、
   具注暦の時刻表記について(『日本暦学会』第20号,2013)()
  自体も記載されていません。

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