「『水左記』の日食記事の欠字を巡って」
2017-10-23 「この分野は素人なのですが…」の
| 平安時代の時刻制度に関する勉強会
ですが、外から確認できる成果物は非常に少ないです。
(1) 『水左記』の日食記事の欠字を巡って
渡辺瑞穂子、相馬充、谷川清隆、上田暁俊
第4回「歴史的記録と現代科学」研究会(2014-02-28~03-01開催)
集録(2015-11 発行) pp.100-107
(2) 2017年日本暦学会講演「御堂関白記の時刻制度」(2017-03-24)
谷川清隆
このうち (1) は、『水左記』記載の承暦4年11月1日(1080-12-14)
の金環食の記事にある時刻部分の欠字の復元を試みたもので、
『左経記』記載の長元元年3月1日(1028-03-29)の部分食も分析
しています。
そして、時刻表記については、
長元元年3月1日(1028-03-29)の部分食 ― 宣明暦の1日100刻制
承暦4年11月1日(1080-12-14)の金環食 ― 延喜式の制度の表記
と推定しています。
具注暦の1日50刻制の事例はないので、残念ながら具注暦の日の出・
日の入り時刻の問題については情報がありません[1]。
ただ、1080年の時点で延喜式の制度の表記が現れるところから、
時代の推移にともなって、
延喜式方式 → 具注暦の日の出・日の入り時刻の方式
と変わっていったというシナリオにはならないという点には注目
しなければなりません。
また、1028年から1080年にかけて技術が退歩しているとの趣旨の
指摘も興味深いです。
おそらく平安貴族たちにとって、日常生活で“分”のような細かな
時刻の区切りは必要がなく[2]、時刻制度として“分”を意識すること
はなかったのではないかと思います。
“分”を使っていたのは主に天体現象を記述するような職掌の人々
のみ。状況によって、宣明暦方式・延喜式方式・具注暦の日の出
日の入り時刻の方式を使い分けていたのではないでしょうか。
(2) のハンドアウトには、参考文献として、
「御堂関白記の時刻制度と日月蝕」(相馬充、渡辺瑞穂子、谷川清隆、上田暁俊)
があり、(1)(2)をまとめた論文と思われます。また、
「御堂関白記の時刻制度」(相馬ほか 2017)
という文献も挙がっています。
しかし、現時点で国会図書館のデータベースを起点として検索できる限り
では、何れの文献もヒットしません。
一般に公開されていない情報をもとに議論をするのは差し控えたいので、
ここでは (2) については、これ以上の言及は控えます。
(2) については、また別の機会に言及したいと思っています。
[1] よって、具注暦の日の出・日の入り時刻の問題についての
研究史上には挙がってきません。
[2] 2012-10-16 萩藩の報時で、
|『江戸の時刻と時の鐘』P.182にも(引用は省略しますが)、老中と
| 目付で十二辰刻(不定時法)の解釈にずれがあった
という事例を紹介しましたが、江戸時代ですらこうだったのです。
| 平安時代の時刻制度に関する勉強会
ですが、外から確認できる成果物は非常に少ないです。
(1) 『水左記』の日食記事の欠字を巡って
渡辺瑞穂子、相馬充、谷川清隆、上田暁俊
第4回「歴史的記録と現代科学」研究会(2014-02-28~03-01開催)
集録(2015-11 発行) pp.100-107
(2) 2017年日本暦学会講演「御堂関白記の時刻制度」(2017-03-24)
谷川清隆
このうち (1) は、『水左記』記載の承暦4年11月1日(1080-12-14)
の金環食の記事にある時刻部分の欠字の復元を試みたもので、
『左経記』記載の長元元年3月1日(1028-03-29)の部分食も分析
しています。
そして、時刻表記については、
長元元年3月1日(1028-03-29)の部分食 ― 宣明暦の1日100刻制
承暦4年11月1日(1080-12-14)の金環食 ― 延喜式の制度の表記
と推定しています。
具注暦の1日50刻制の事例はないので、残念ながら具注暦の日の出・
日の入り時刻の問題については情報がありません[1]。
ただ、1080年の時点で延喜式の制度の表記が現れるところから、
時代の推移にともなって、
延喜式方式 → 具注暦の日の出・日の入り時刻の方式
と変わっていったというシナリオにはならないという点には注目
しなければなりません。
また、1028年から1080年にかけて技術が退歩しているとの趣旨の
指摘も興味深いです。
おそらく平安貴族たちにとって、日常生活で“分”のような細かな
時刻の区切りは必要がなく[2]、時刻制度として“分”を意識すること
はなかったのではないかと思います。
“分”を使っていたのは主に天体現象を記述するような職掌の人々
のみ。状況によって、宣明暦方式・延喜式方式・具注暦の日の出
日の入り時刻の方式を使い分けていたのではないでしょうか。
(2) のハンドアウトには、参考文献として、
「御堂関白記の時刻制度と日月蝕」(相馬充、渡辺瑞穂子、谷川清隆、上田暁俊)
があり、(1)(2)をまとめた論文と思われます。また、
「御堂関白記の時刻制度」(相馬ほか 2017)
という文献も挙がっています。
しかし、現時点で国会図書館のデータベースを起点として検索できる限り
では、何れの文献もヒットしません。
一般に公開されていない情報をもとに議論をするのは差し控えたいので、
ここでは (2) については、これ以上の言及は控えます。
(2) については、また別の機会に言及したいと思っています。
[1] よって、具注暦の日の出・日の入り時刻の問題についての
研究史上には挙がってきません。
[2] 2012-10-16 萩藩の報時で、
|『江戸の時刻と時の鐘』P.182にも(引用は省略しますが)、老中と
| 目付で十二辰刻(不定時法)の解釈にずれがあった
という事例を紹介しましたが、江戸時代ですらこうだったのです。
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