天正10年6月朔の日食

信長が天正10年末~翌年初の暦を三嶋暦に合わせるよう迫った
問題について、

>本能寺の変、朝廷黒幕説を覆すキーワードは「日食」だった
http://ironna.jp/articles/7667

という説があるそうです。宣明暦[1]が日食を予報しなかったと言う。

hosi.org で問題の日食を宣明暦が予測していたか確認するには、
http://hosi.org の[設定]ボタンを押して、設定モードに入り、
日本(♔,☞)の[設定]ボタンを押して日本暦日の設定画面を開き、

 → http://hosi.org/cookies/Japanese

この画面の右下隅の「七曜/六曜/具注暦」を具注暦にして、
[OK] ボタンを押します。

そして、天正10年6月一か月分の暦を見ればよい。

 → http://hosi.org/*/天正10(1582)-06

確かに朔には日蝕八分とあります[2]から、当時の暦官が計算間違いを
していたのでなければ、暦面には日食が予報されていたはずです。

どうやら冒頭の URL で引用した説は間違い?[3]

個人的には

 2015-05-31 天正十年の改暦問題

で紹介した説が合理的で有力だと思います。

[1] 三嶋暦を宣明暦でないものと見なしている?
  → 2015-02-13 京暦と三嶋暦
[2] → GitHub
[3] 竹迫忍「宣明暦具注暦に記載された日食について」によれば、
  天正10年の具注暦の現物が国立公文書館に残っており(194-495)、
  問題の蝕は記載ありとなっている由。

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