薄明(続き)
昨日の話、もう少し
| 別に寛政暦を特別視せずとも
渡邊敏夫『日本の暦』p.133 によれば寛政暦の新規性は、薄明を、
時間(36分)でなく、太陽の伏角(7度21分40秒)で定義したこと。
両者をつなぐのが「京都における春秋分」。
そうそう、思い出した[1]。
もうひとつは「二刻半」という薄明の幅を最初にもちこんだのは、
大衍暦らしいということ。麟徳暦には昏明刻という概念が記載
されていない。
[1] 『暦の大事典』p.305では渡邊敏夫『日本の暦』の方を
参照したので、まちがってなくてよかった。
| 頒暦には二十四節気の各節気・中気の日における昼と夜の長さを
| 刻数(1日=100刻)で記載する。昼は夜明けから日暮れまで、夜は
| 日暮れから夜明けまでである。宝暦暦までは季節によらず夜明けは
| 日の出前2.5刻、日暮れは日の入り後2.5刻であった。寛政暦で
| これが太陽の俯角による定義に変わった。すなわち、春分および
| 秋分の日の京都西三条の観測定点(北緯35度0.8分)での、日の出前
| 2.5刻(日の入り後2.5刻)の太陽の俯角が7度21分40秒であることから、
| 季節によらず太陽の俯角がこの値になる瞬間を夜明けおよび日暮れ
| と定義することとしたのである。
| 別に寛政暦を特別視せずとも
渡邊敏夫『日本の暦』p.133 によれば寛政暦の新規性は、薄明を、
時間(36分)でなく、太陽の伏角(7度21分40秒)で定義したこと。
両者をつなぐのが「京都における春秋分」。
そうそう、思い出した[1]。
もうひとつは「二刻半」という薄明の幅を最初にもちこんだのは、
大衍暦らしいということ。麟徳暦には昏明刻という概念が記載
されていない。
[1] 『暦の大事典』p.305では渡邊敏夫『日本の暦』の方を
参照したので、まちがってなくてよかった。
| 頒暦には二十四節気の各節気・中気の日における昼と夜の長さを
| 刻数(1日=100刻)で記載する。昼は夜明けから日暮れまで、夜は
| 日暮れから夜明けまでである。宝暦暦までは季節によらず夜明けは
| 日の出前2.5刻、日暮れは日の入り後2.5刻であった。寛政暦で
| これが太陽の俯角による定義に変わった。すなわち、春分および
| 秋分の日の京都西三条の観測定点(北緯35度0.8分)での、日の出前
| 2.5刻(日の入り後2.5刻)の太陽の俯角が7度21分40秒であることから、
| 季節によらず太陽の俯角がこの値になる瞬間を夜明けおよび日暮れ
| と定義することとしたのである。
この記事へのコメント
寛政暦書には晨昏は7度21分40秒ではなく七度三十六分と書かれています
1度=100分のようですが
東京天文台が何らかの要素を考慮し、寛政暦の定義から再定義したのかもしれませんね
うっかりして間違えたのかもしれませんが