除夜の鐘(さらに続き)

2017-02-06 恵方詣りと恵方巻の記事を書いた際に参照した恵方詣り
(Wikipedia)の項で主に典拠とされている『鉄道が変えた社寺参詣』で、
標題の件が議論[1]されていました。

大まかにまとめると「江戸時代には盛んだったが明治維新後廃れ、
放送で利用されるようになって再度普及した」というもの[2]
『東京日日新聞』大正13年12月31日の淡島寒月翁談の一部と、
2016-12-31 除夜の鐘の記事で挙げた朝日新聞の同日の記事を
引用しています。

実は この淡島寒月の話は、2017-01-10 除夜の鐘(続き)を書くため
に調査したときに既に確認していました。もう少し広い範囲を引用
すると…

>大江戸の各寺院でもこのやうな行事は極はめて盛んにやつてゐる、
>西鶴の著した「胸算用」などを見ても師走の江戸人の生活のあわ
>たゝ゛しかつた事がこまごまと書かれ除夜の鐘と借銭取りなどを
>あしらひ除夜の鐘と江戸人の経済問題を引つかけて書かれてある
>「鐘一つ賣れぬ日はなし江戸の春」有名な句だが斯くの如く江戸
>の佛法は盛んなものであった、しかし現在の東京では除夜の鐘を
>ついて生々しい人間生活の無常を知らしめそこに反省をうながす
>寺院が稀になつたばかりか先般の鐵價暴騰の際などはその大事な
>鐘を叩き賣つたという話も聞いた

1) 淡島寒月は1859年生まれでものごころが付いたころには明治
2) 江戸時代のエビデンスは「胸算用」のみだが、これは除夜の鐘
  をやり過ごせば掛け取りから逃れられるという話でしょう。
3) 「鐘を叩き賣つた」話は特殊事例

なので、淡島寒月の話は文人の主観的な慨歎ではあっても、社会史
的なエビデンスにはならないよう[3]に思います。

もう少し定量的な議論が必要に感じます。

# 寛永寺では、江戸時代には時の鐘を優先して除夜の鐘を撞いてい
# なかったが、明治維新後は撞くようになったというのは、すでに
# 2017-01-10 除夜の鐘(続き)で検証しましたし。

[1] 恵方詣りと恵方巻の関連についての議論はありませんでした。
[2] Kindle Unlimited で読んだものなので、こちらの1. Kindle
  コンテンツの趣旨を尊重して引用はしないでおきます。
[3] なので 2017-01-10 除夜の鐘(続き)でとりあげていない。

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