「暦法」と「カレンダー」

先日参照した
『一なる天、異なる天 ――モンゴル帝国期ペルシア語中国暦の研究――』
にマルツロフ[1]を参照して、うまく整理した文章が書いてありました。

p.129

>マルツロフは中国暦の構造を深層構造(structure profonde)と
>表層構造(structure de surface)の2つに分ける。深層構造は
>暦計算のためのものであり、暦元から起算され、冬至という太陽
>運行上の1点を基準とする「暦法」であった。一方で表層構造の方
>は日付に用いられる年・月・日を構成するものであり、六十干支
>と十二の月から成る「こよみ」であった。「暦法」は「こよみ」
>の計算基盤であり、「こよみ」を作成するためのものである。
>しかし逆に「こよみ」から「暦法」を再構築することはできない

(中略)

>この2種の構造を混同してはならない。

(中略)

>マルツロフはこの2つの構造を内容面だけでなく実践面でも分類する。
>「こよみ」に占星術的な暦注を併せた「カレンダー」は印刷され、
>王朝の全領域に頒布された。一方で、マルツロフが天文学正典
>(canons astronomiques officiels)と呼ぶ「暦法」は宮廷内の
>限られた専門職の人間のなかでしか――少なくとも本来は――
>知ることのできないものであった。暦法編纂は国家事業であり
>その成果が歴代王朝の『正史』のなかに記されるのもそうした
>理由からである

p.130

>マルツロフに拠って王朝による「時」の管理をこの2種の構造から
>みた場合、深層・表層構造それぞれ、その管理の実態を以下のように
>表すことができるであろう。

>1. 「暦法」編纂は国家事業として捉えられており、司天監の
>  役人のみがそれに携わることを許されていた。
>2. 「カレンダー」は毎年、王朝の支配領域の全域に頒布される
>  のみならず、朝貢国にも授与された。その販売は国家によって、
>  厳しく統制されていた。

この「暦法」と「カレンダー」の違いを踏まえて、2013-05-01
明治改暦当時の制度の記事を読むとわかりやすいように思います。
この2種の構造を混同すると、2015-09-19 『日本暦日原典』関連
引用した、

>この詔書では400年に3回閏年を除くというグレゴリオ暦の特徴が
>脱落していた。

というような奇妙な解釈に迷い込んでしまうわけです。

[1] Martzloff, J.C. 2009. Le calendrier chinois: structure et calcus
(104 av. J.-C.-1644). Indetermination celeste et reforme permanente.
La construction chinoise officielle du temps quotidien discret
a partir d’un temps mathematique cache, lineaire et continu.
Paris: Honore Champion.

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