『日本暦日原典』関連

2015-09-02「2033年の旧暦問題の湯浅さん論考」の記事の

| この上から目線のおごりは、以前「明治改暦」について書いた
|  2013-04-12 365日5時間49分(続き)
| で『日本暦日原典』に感じたものと共通します。

の件

昨日の話の続きになります。

『日本暦日原典』(1975)p.544の

> この詔書の文章は、のちに三正綜覧の編さんに携わった権大外史・塚本明毅の
> 建議書を参考にしていることは直ちにわかる。そしてその建議書はまた、中井
> 竹山(1730~1804)の「草茅危言」および吉雄南皐(1787~1843)の「遠西観象図説」
> を援用していることが看取される。殊に7000年に1日の差という間違いは、
> 吉雄の計算違いがそのまま使われている。実際は1900年以降で計算すると、
> グレゴリオ暦法では2621年ほどで1日違う勘定になる。この詔書では400年に3回
> 閏年を除くというグレゴリオ暦の特徴が脱落していた。そのためこのままでは、
> 1900年(明治33年)が閏年になってしまうので、明治31年の勅令第90号が必要と
> なってくる。

何回かとりあげたのですが、あまりリンクの先まで読んでいただけるわけでも
ないようなので、再度まとめておきます。

× 殊に7000年に1日の差という間違いは、吉雄の計算違いがそのまま使われている。
「七千年ノ後僅ニ一日」の謎
原典である『遠西観象図説』を確認すれば「吉雄の“計算違い”」でないことは、
たった一行(いや、たった一字?)
> 円環年ノ日時分ヲ測ルニ三百六十五日五時四十九分
という記述を確認するだけでわかる。グレゴリオ暦との差は7200年に1日である。

× 実際は1900年以降で計算すると、グレゴリオ暦法では2621年ほどで1日違う勘定になる。
→2012-08-19 「2621年ノ後一日」の謎
原典である『暦法及時法』を確認すればグレゴリオ暦の誤差は2621年で1日、4542年
で2日と書いてある。ところが同じ本の隣頁の計算式を使うと2621→2620,4542→4540
となり丸め誤差では説明できない計算違いであることがわかる。そもそも 1975年の
時点では地球自転の減速は既知だったので、もともと「実際は」とは書けない。

× このままでは、1900年(明治33年)が閏年になってしまう
→2013-04-12 365日5時間49分(続き)
原典である『改暦ノ布告』を確認すれば、「明治6年は平年で、閏年は4年に1回」
としか書いていない。判るのは明治(6+4n)年が平年であることだけ。明治33年が
閏年になるか否かは布告だけではわからない。
布告の意図を判断する上でこの違いは重要。(→2013-05-01 明治改暦当時の制度)

○殊に2621年に1日の差という間違いは,平山の計算違いがそのまま使われている。
○実際は明治改暦時点でのペースで線形近似すると,グレゴリオ暦法では7000年ほどで1日違う勘定になる。
      ↓
×殊に7000年に1日の差という間違いは,吉雄の計算違いがそのまま使われている。
×実際は1900年以降で計算すると,グレゴリオ暦法では2621年ほどで1日違う勘定になる。


これは吉雄俊蔵と塚本明毅の名誉を傷つけるだけに、あまりに酷く醜い間違いです。
(『原典』を称する文献に丸ごと間違いの段落があるというのはある意味すごいこと)

原因は、“原典”を視ずに、“師匠”を見ているからではないかと思います。

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