『淮南子』天文訓

2012-09-13 二十四節気と歳中置閏の記事で、二十四節気すべてが列挙された
最初の文献は『淮南子』だと書きましたが、その原文が中國哲學書電子化計劃
で読めます(→《卷五 天文訓上》)

続きの《卷六 天文訓下》の書き出しは、こんな感じ…

 淮南元年冬,太一在丙子,冬至甲午,立春丙子。

「太一在丙子」というのは「太歳紀年が丙子」という意味で紀元前164年です。
現代の年の干支とは一年ずれます。

つぎの「冬至甲午,立春丙子」というのも、丙子 - 甲午 = 42 なので、単純な
日の干支ではないようです。

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「立春、立秋など暦で使われる言葉は、いつ頃できたものか」という
下記のようなQ&Aがあります。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000114093

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