『七政算外篇』

2015-05-21の記事で、
|“貞享暦の日行盈縮と定朔”の過去の類似研究については、つい最近、
|  http://seesaawiki.jp/w/m_donchan/comment/FrontPage#comment
|に、
|>太陽の平均運動からのずれについて、春海の式は授時暦のよりもよいそうです
| という記述を見つけてその先を追いかけています。
と書きました。

その後、アドヴァイスもいただいて、

『アルマゲスト』→(「出差」マーカー)→<回々暦>→朝鮮王朝『七政算外篇』
→朝鮮通信使朴安期→岡野井玄貞→渋川春海→<貞享暦> (*)

の経路[1]を想定してみました。

二年あまり前に、天文暦学上の概念の発見と伝播について
 インドの場合   https://suchowan.seesaa.net/article/201301article_30.html
 イスラームの場合 https://suchowan.seesaa.net/article/201301article_31.html
 中国の場合    https://suchowan.seesaa.net/article/201301article_32.html
でまとめましたが、インドの場合、プトレマイオスの発見した出差を理論に含むか
否かがギリシア→インドの天文学伝播時期の判断の決め手でした。

一方、中国の場合、<授時暦>は出差を含まず、<回々暦>は出差を含みます。
このため<授時暦>は朔や望以外の時点で発生する星食の予報の精度が悪く[2]
<回々暦>が併用されたのです。

朝鮮王朝は中国の天文暦学をとりいれて『七政算』を編纂しましたが、その
『内篇』は<授時暦≒大統暦>、『外篇』は<回々暦>に対応します[3]

幸いなことに<回々暦>については『明史』暦志に詳細が記述されており、位置表
(=立成)を、太陽の加減差に関して1つ、月の加減差に関して2つ使います。
太陽の表は中心差のためのものですが、月は中心差と出差の両方を扱うので
表が2つ必要なのでしょう。

2014-03-19の記事で中心差の極大値に関して、

 現代天文学 M = 88.17度 → υ - M = 1.916 度
 <授時暦>  M = 89.27日 → υ - M = 2.367 度 (2.40日[4])
 <貞享暦>  M = 88.86日 → υ - M = 2.027 度

を求めたのに対応する計算をしてみると、三宮二度が極大値2度00分47秒なので

 <回々暦>  M = 87.24日 → υ - M = 2.013 度

となりました。貞享暦の値は「ぴたりと一致」しているわけではありませんが、
<回々暦>にかなり近い。表形式の立成を招差法(三次多項式)で表現すれば、
ズレは当然発生します。(*) の経路はかなり有力[5]に思えます。

[1] 「暦法(朴安期と岡野井玄貞と渋川春海)」など参照
[2] 出差については2013-01-02の記事をご覧ください。
[3] 暦の会第394回例会質疑
[4] 全円周を回帰年の日数で表現した場合の値 →『授時暦―訳注と研究―』p.11
[5] 石原幸男さんの「『アルマゲスト』と授時暦」からすると中心差は、<回々暦>の
  時点で既に『アルマゲスト』から改良されていることになります。
  薮内清『増補改訂中国の天文暦法』p.217にも「『アルマゲスト』に比べて回々暦
  の数値に格段の進歩がみられる」とあります。

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[2015-06-07 追記]
本記事へのフォローアップが 2015-06-08 の記事にあります。

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