西夏の年号

続資治通鑑』では、1034年十月の記事(宏業書局版920-76)に

 私改元曰開運,既踰月,人告以石晋敗亡年號也,乃更廣運

とあります。MS-DOS版では、十月時点で「既踰月」というのを、
前月に開運と改元して「もう月の境をこえた」と解釈しました。
つまり、

 開運:1034-09, 広運:1034-10

李崇智『中國歴代年號考修訂本』(2012)では、これが、

 開運:1034-07, 広運:1034-08

になっていて典拠が示されていません。

その後の年号についても、『続資治通鑑』と『中國歴代年號考』に
一年のずれがあるものが複数あり、概ね『続資治通鑑』が一年遅れ[1]
です。

西夏の年号のこれらのずれについては、判断材料もないため両論を
生かすことにしました。(→ソースリスト)

 CalendarEra('西夏') ― 原則[2] MS-DOS版を踏襲(デフォルト)
 CalendarEra('西夏::V=103407') ― 『中國歴代年號考』に基づく

これまで西夏の年号はCalendarEra('中国::西夏')でしたが、この
Vオプション指定を中国年号と別に指定できるよう独立した暦年代
にしました。

Webサーバーでは、http://hosi.org/cookies/WesternXia



で切り替えることができます。

[1] 『続資治通鑑』が踰年、『中國歴代年號考』が立年と解釈するのが
  自然です。
[2] ただし大慶改元についてはもとにした『続資治通鑑』(宏業書局版
  3219-15)が改元記事ではなく代替わり記事のため、踰年改元と
  解釈し『中國歴代年號考』とも一致する1140年改元に改めました。

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