時の記念日と皇極暦
2014-09-07の時の記念日の記事で、皇極暦の話がなぜ突然出てきたか
というと、
橋本万平『日本の時刻制度』p.34に
>天智天皇時代の暦は、あるいは元嘉暦といい、又は皇極暦かと疑い、
>未だ定説がないのである。
と書いてあったためです。
『隋書律暦志』によれば、皇極暦の暦元は、隋の仁寿4年甲子(604年)
から1008840年遡った甲子年の天正冬至の甲子日ですから、
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/366th-suga.pdf
で説明したのと同じ要領で、ユリウス通日 -366531649 とわかります。
西暦671年の小満は、この暦元から(1008907 + 5/12)年後、皇極暦の一年
は (365 + 11406.5 / 46644)日なので、掛け算すればそのユリウス通日
1966280.1(グレゴリオ暦671年5月23日)がわかります。
注意しなければならないのは、この小満は平気の小満だということ。
2014-03-12の皇極暦の記事で、置閏に関して、
>閏衰限滿閏限、定朔無中氣者為閏、滿之前後、在分前若近春分後、
>秋分前、而或月有二中者、皆量置其朔、不必依定。
とある「二中者」は定気の中気のことですから、皇極暦の作者の劉焯の
意図として、暦面の二十四節気を定気で表記しようとしていた可能性が
あります。
藪内清『増訂隋唐暦法史の研究』(1989)によれば麟徳暦と皇極暦の太陽
の運行の遅速はまったく同じなので、こちらの表の小満の消息總を参照
して、定気の小満は平気の小満に 1340/1340日―つまりちょうど1日―
先行することがわかります。
皇極暦は実際には使われたことがないとされているので、「実際の暦面
で二十四節気が平気と定気のいずれで使われたか」という問いは意味が
ないですから、とりあえず平気と定気の両方の可能性を考慮するのが
良いでしょう。
というと、
橋本万平『日本の時刻制度』p.34に
>天智天皇時代の暦は、あるいは元嘉暦といい、又は皇極暦かと疑い、
>未だ定説がないのである。
と書いてあったためです。
『隋書律暦志』によれば、皇極暦の暦元は、隋の仁寿4年甲子(604年)
から1008840年遡った甲子年の天正冬至の甲子日ですから、
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/366th-suga.pdf
で説明したのと同じ要領で、ユリウス通日 -366531649 とわかります。
西暦671年の小満は、この暦元から(1008907 + 5/12)年後、皇極暦の一年
は (365 + 11406.5 / 46644)日なので、掛け算すればそのユリウス通日
1966280.1(グレゴリオ暦671年5月23日)がわかります。
注意しなければならないのは、この小満は平気の小満だということ。
2014-03-12の皇極暦の記事で、置閏に関して、
>閏衰限滿閏限、定朔無中氣者為閏、滿之前後、在分前若近春分後、
>秋分前、而或月有二中者、皆量置其朔、不必依定。
とある「二中者」は定気の中気のことですから、皇極暦の作者の劉焯の
意図として、暦面の二十四節気を定気で表記しようとしていた可能性が
あります。
藪内清『増訂隋唐暦法史の研究』(1989)によれば麟徳暦と皇極暦の太陽
の運行の遅速はまったく同じなので、こちらの表の小満の消息總を参照
して、定気の小満は平気の小満に 1340/1340日―つまりちょうど1日―
先行することがわかります。
皇極暦は実際には使われたことがないとされているので、「実際の暦面
で二十四節気が平気と定気のいずれで使われたか」という問いは意味が
ないですから、とりあえず平気と定気の両方の可能性を考慮するのが
良いでしょう。
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