寛政暦の二十四節気
2014-06-25「漢の文帝の“改暦”(続き)」の記事で、
>以前に江戸暦のバリエーションに名前を付けた際、施行された年の干支
>を名前に付けた
と書いたのですが、
http://hosi.org/cookies/SpecifiedSolar
に出てくる「寛政丁亥暦」の説明を書いていないのに気づきました。
以下その経緯
寛政暦の二十四節気の時刻を、歳実の消長の有無で比較したところ
消長の有無で1/100日単位の時刻表記に差が生じるのは下記です。[1]
西暦 No 干支(No) 刻 消長なし 干支(No) 刻 消長あり
1811 14 丙申(32) 卯 0 0.997 ○ != × 丙申(32) 卯 1 0.000
1817 6 乙丑(01) 亥 4 0.993 ○ != × 乙丑(01) 亥 5 0.002
1818 16 癸卯(39) 辰 5 0.993 ○ != × 癸卯(39) 辰 6 0.002
1820 2 庚辰(16) 酉 6 0.992 ○ != × 庚辰(16) 酉 7 0.002
1821 12 戊午(54) 寅 7 0.991 ○ != × 戊午(54) 寅 8 0.002
1827 5 癸卯(39) 丑 8 0.831 × != ○ 癸卯(39) 寅 0 0.517 [2]
1829 7 甲申(20) 丑 0 0.986 × != ○ 甲申(20) 丑 1 0.008
1830 17 辛酉(57) 午 1 0.985 × != ○ 辛酉(57) 午 2 0.008
1832 3 戊戌(34) 亥 2 0.985 × != ○ 戊戌(34) 亥 3 0.008
1833 13 丙子(12) 辰 3 0.984 × != ○ 丙子(12) 辰 4 0.008
1834 23 癸丑(49) 酉 4 0.983 × != ○ 癸丑(49) 酉 5 0.008
1836 9 辛卯(27) 寅 5 0.982 × != ○ 辛卯(27) 寅 6 0.008
1837 19 戊辰(04) 未 6 0.981 × != ○ 戊辰(04) 未 7 0.018
1839 5 丙午(42) 子- 7 0.980 × != ○ 丙午(42) 子- 8 0.018
○ 『日本暦日原典』[3]と一致
× 『日本暦日原典』と不一致
これを見る限り1820年代の始めころまでは、頒暦の二十四節気の
計算に歳実の消長を考慮していなかったように見えます。
そういえば、2014-03-22の記事の寛政暦と略算式の朔の不一致
相違暦日 通日 日の干支 計算暦日 朔(計算) 定朔時刻/h(/d)
1802-07-01 2379436 己巳(05) 1802-06-30 2379437 0.2414(0.010)
1806-01-01 2380736 己酉(45) 1805-12-30 2380737 0.1287(0.005)
1819-05-01 2385608 辛酉(57) 1819-04=30 2385609 0.0986(0.004)
1824-05-01 2387410 癸亥(59) 1824-04-30 2387411 0.0468(0.002)
1825-08-01 2387883 丙辰(52) 1825-08-02 2387882 23.9969(1.000)
も1820年代の半ばを境に、それまでは大きくずれていた時刻がずれなく
なり、その後約20年近く略算式の朔と一致するようになります。
文献には言及がないようですが、1820年代の半ばころに、何らかの
計算アルゴリズムの見直しがなされたのかもしれません。
[1] 「消長あり」は授時暦の計算法で10年ごとに改訂するとして計算
2012-11-22の記事は訂正します。
[2] 四捨五入のため寅の初刻は0.5から始まります。
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/time2.pdf 3ページなど
[3] 『日本暦日原典』はこの時代は、計算ではなく実際の頒暦から
表を作成していたと認識しています。
[2021-08-07 追記]
新展開を別記事にしました。こちら↓もご覧ください。
2021-08-07 寛政暦の歳実(つづき)
>以前に江戸暦のバリエーションに名前を付けた際、施行された年の干支
>を名前に付けた
と書いたのですが、
http://hosi.org/cookies/SpecifiedSolar
に出てくる「寛政丁亥暦」の説明を書いていないのに気づきました。
以下その経緯
寛政暦の二十四節気の時刻を、歳実の消長の有無で比較したところ
消長の有無で1/100日単位の時刻表記に差が生じるのは下記です。[1]
西暦 No 干支(No) 刻 消長なし 干支(No) 刻 消長あり
1811 14 丙申(32) 卯 0 0.997 ○ != × 丙申(32) 卯 1 0.000
1817 6 乙丑(01) 亥 4 0.993 ○ != × 乙丑(01) 亥 5 0.002
1818 16 癸卯(39) 辰 5 0.993 ○ != × 癸卯(39) 辰 6 0.002
1820 2 庚辰(16) 酉 6 0.992 ○ != × 庚辰(16) 酉 7 0.002
1821 12 戊午(54) 寅 7 0.991 ○ != × 戊午(54) 寅 8 0.002
1827 5 癸卯(39) 丑 8 0.831 × != ○ 癸卯(39) 寅 0 0.517 [2]
1829 7 甲申(20) 丑 0 0.986 × != ○ 甲申(20) 丑 1 0.008
1830 17 辛酉(57) 午 1 0.985 × != ○ 辛酉(57) 午 2 0.008
1832 3 戊戌(34) 亥 2 0.985 × != ○ 戊戌(34) 亥 3 0.008
1833 13 丙子(12) 辰 3 0.984 × != ○ 丙子(12) 辰 4 0.008
1834 23 癸丑(49) 酉 4 0.983 × != ○ 癸丑(49) 酉 5 0.008
1836 9 辛卯(27) 寅 5 0.982 × != ○ 辛卯(27) 寅 6 0.008
1837 19 戊辰(04) 未 6 0.981 × != ○ 戊辰(04) 未 7 0.018
1839 5 丙午(42) 子- 7 0.980 × != ○ 丙午(42) 子- 8 0.018
○ 『日本暦日原典』[3]と一致
× 『日本暦日原典』と不一致
これを見る限り1820年代の始めころまでは、頒暦の二十四節気の
計算に歳実の消長を考慮していなかったように見えます。
そういえば、2014-03-22の記事の寛政暦と略算式の朔の不一致
相違暦日 通日 日の干支 計算暦日 朔(計算) 定朔時刻/h(/d)
1802-07-01 2379436 己巳(05) 1802-06-30 2379437 0.2414(0.010)
1806-01-01 2380736 己酉(45) 1805-12-30 2380737 0.1287(0.005)
1819-05-01 2385608 辛酉(57) 1819-04=30 2385609 0.0986(0.004)
1824-05-01 2387410 癸亥(59) 1824-04-30 2387411 0.0468(0.002)
1825-08-01 2387883 丙辰(52) 1825-08-02 2387882 23.9969(1.000)
も1820年代の半ばを境に、それまでは大きくずれていた時刻がずれなく
なり、その後約20年近く略算式の朔と一致するようになります。
文献には言及がないようですが、1820年代の半ばころに、何らかの
計算アルゴリズムの見直しがなされたのかもしれません。
[1] 「消長あり」は授時暦の計算法で10年ごとに改訂するとして計算
2012-11-22の記事は訂正します。
[2] 四捨五入のため寅の初刻は0.5から始まります。
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/time2.pdf 3ページなど
[3] 『日本暦日原典』はこの時代は、計算ではなく実際の頒暦から
表を作成していたと認識しています。
[2021-08-07 追記]
新展開を別記事にしました。こちら↓もご覧ください。
2021-08-07 寛政暦の歳実(つづき)
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