『西洋新法暦書』と『暦象考成上下編』の違い
前回の暦の会で話題になった件をもうひとつ
首記の件、自宅にある一番詳しい資料は、
藪内清・吉田光邦編『明清時代の科学技術史』に収録された
橋本敬造「暦象考成の成立」
一覧表があったと思ったのは記憶違いで、『西洋新法暦書』と
『康熙永年暦表』(『暦象考成上下編』より前に編纂)の比較表
でした。
・相違点
(i) 200年暦→2000年暦
(ii)日躔表の元期(1678年)での近地点位置
『西洋新法暦書』はヨーロッパ人(宣教師)編纂であったのが、
『暦象考成上下編』では考え方を理解した中国人主体で、観測
をやって編纂した由。上記に加え黄道傾角も変わり、その他
細かな定数も観測を反映して微妙に変わっている。
しかし、共通してチコ=ブラーエの体系を使用している以上、
個人的にはケプラーの体系を使用している『暦象考成後編』
との差の方が、パラダイムとしては大きいように思います。
----
[追記] 編集ミスで結論が逆になってました。失礼m(_ _)m
首記の件、自宅にある一番詳しい資料は、
藪内清・吉田光邦編『明清時代の科学技術史』に収録された
橋本敬造「暦象考成の成立」
一覧表があったと思ったのは記憶違いで、『西洋新法暦書』と
『康熙永年暦表』(『暦象考成上下編』より前に編纂)の比較表
でした。
・相違点
(i) 200年暦→2000年暦
(ii)日躔表の元期(1678年)での近地点位置
『西洋新法暦書』はヨーロッパ人(宣教師)編纂であったのが、
『暦象考成上下編』では考え方を理解した中国人主体で、観測
をやって編纂した由。上記に加え黄道傾角も変わり、その他
細かな定数も観測を反映して微妙に変わっている。
しかし、共通してチコ=ブラーエの体系を使用している以上、
個人的にはケプラーの体系を使用している『暦象考成後編』
との差の方が、パラダイムとしては大きいように思います。
----
[追記] 編集ミスで結論が逆になってました。失礼m(_ _)m
この記事へのコメント