麻田剛立の「時中暦」の歳実
“「七千年ノ後僅ニ一日」の謎”(以下、単に論文)を先日の暦の会で配布された
『日本暦学会』第21号でお読みになった方から、新しい情報がありました。
標題の件に関しては、一昨年の暦の会第373回例会での発表の際のまとめ(p.12)
の疑問点2で問題とした点だったのですが、その後、渡邊敏夫『近世日本科学史
と麻田剛立』に、
p.57
>『実験録』を見ると、張紙や、朱筆で致る所改削・増訂が行われているが、
> 丁未(天明7年)10月
> 辛亥(寛政3年)4,5月,冬
> 壬子(寛政4年)冬
> 癸丑(寛政5年)春,4,6,7月
> 甲寅(寛政6年)冬
> 丁巳(寛政9年)
>と、重新のいう7回どころではない。
p.58
>ことに5年には全般にわたった大改正が行われている。寛政5年という年は、
>恐らく麻田一派が『後編』を入手して互いに研究を始めたときである。
p.196
>『後編』が本邦に舶載され、寛政初期頃にはわずか数部しか存在しなかったのを、
>間重富が奇計をもって某有力者から入手し、本邦の暦学に大きな影響を及ぼした。
>麻田は『後編』を見るに及んで家暦『時中法』を焼き捨てようとしたくらいで
>あった。しかし『時中法』を全面的に書き改めることもなく、用数の改変程度に
>止まったが、麻田には大きな関心を引き起こした書物であった。
p.288
>寛政の改暦に際し麻田の『消長法』が採用され、寛政暦法を記した『寛政暦書』
>にはこの『消長法』に基づいて,寛政9年(1797)丁巳天正冬至を立元とする用数が
>計算されている。
とあるのを確認して、現存「時中暦」の歳実の暦元が、麻田一門が『暦象考成後編』
を入手した時期に先行するのは必ずしも矛盾ではないと考えたため、論文のような
系譜としたのでした。
ところが、
「麻田剛立」、末中哲夫、宮島一彦、鹿毛敏夫、大分県教育委員会、大分県先哲叢書
>のp.322ページに、掲載の東北大本、尊経閣文庫本について本文の最終改訂年代の
>下限と写本の時期の議論があり、このテキストが古いらしいことが議論されている
>ようです。ここでは、後の張り紙や朱書には影響されない、本文のオリジナルの
>数値が載せられているものと思います。
とのこと。そうすると系譜の見直しが必要になります。
寛政暦自体は『暦象考成後編』を前提としているので、麻田剛立の歳実が同書と
整合しなければ他の値に改訂されていたでしょうから、ニュートンと文政年間の
歳実がつながるという大枠はぎりぎり維持でき幸いでした。
→ 2019-03-16 麻田剛立の「時中暦」の歳実(つづき) [2024-11-30 追記]
----
[追記] もともと論文は§2の結論部分で中締めしていて、曖昧性がある論点を
分離しておきました。新しい情報で修正が発生しても、§2の結論に影響が
及ばないようにするためです。
『日本暦学会』第21号でお読みになった方から、新しい情報がありました。
標題の件に関しては、一昨年の暦の会第373回例会での発表の際のまとめ(p.12)
の疑問点2で問題とした点だったのですが、その後、渡邊敏夫『近世日本科学史
と麻田剛立』に、
p.57
>『実験録』を見ると、張紙や、朱筆で致る所改削・増訂が行われているが、
> 丁未(天明7年)10月
> 辛亥(寛政3年)4,5月,冬
> 壬子(寛政4年)冬
> 癸丑(寛政5年)春,4,6,7月
> 甲寅(寛政6年)冬
> 丁巳(寛政9年)
>と、重新のいう7回どころではない。
p.58
>ことに5年には全般にわたった大改正が行われている。寛政5年という年は、
>恐らく麻田一派が『後編』を入手して互いに研究を始めたときである。
p.196
>『後編』が本邦に舶載され、寛政初期頃にはわずか数部しか存在しなかったのを、
>間重富が奇計をもって某有力者から入手し、本邦の暦学に大きな影響を及ぼした。
>麻田は『後編』を見るに及んで家暦『時中法』を焼き捨てようとしたくらいで
>あった。しかし『時中法』を全面的に書き改めることもなく、用数の改変程度に
>止まったが、麻田には大きな関心を引き起こした書物であった。
p.288
>寛政の改暦に際し麻田の『消長法』が採用され、寛政暦法を記した『寛政暦書』
>にはこの『消長法』に基づいて,寛政9年(1797)丁巳天正冬至を立元とする用数が
>計算されている。
とあるのを確認して、現存「時中暦」の歳実の暦元が、麻田一門が『暦象考成後編』
を入手した時期に先行するのは必ずしも矛盾ではないと考えたため、論文のような
系譜としたのでした。
ところが、
「麻田剛立」、末中哲夫、宮島一彦、鹿毛敏夫、大分県教育委員会、大分県先哲叢書
>のp.322ページに、掲載の東北大本、尊経閣文庫本について本文の最終改訂年代の
>下限と写本の時期の議論があり、このテキストが古いらしいことが議論されている
>ようです。ここでは、後の張り紙や朱書には影響されない、本文のオリジナルの
>数値が載せられているものと思います。
とのこと。そうすると系譜の見直しが必要になります。
寛政暦自体は『暦象考成後編』を前提としているので、麻田剛立の歳実が同書と
整合しなければ他の値に改訂されていたでしょうから、ニュートンと文政年間の
歳実がつながるという大枠はぎりぎり維持でき幸いでした。
→ 2019-03-16 麻田剛立の「時中暦」の歳実(つづき) [2024-11-30 追記]
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[追記] もともと論文は§2の結論部分で中締めしていて、曖昧性がある論点を
分離しておきました。新しい情報で修正が発生しても、§2の結論に影響が
及ばないようにするためです。
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