宝暦暦~天保暦の計算

修正宝暦暦で1朔3閏がこちらの計算とずれましたが、1787年の
朔のずれは、こちらの計算誤差、3閏のずれは修正宝暦暦の頒暦
で発生した有名な置閏ルールの錯誤によるものです。

相違暦日 通日 日の干支 計算暦日 朔(計算) 定朔時刻/h(/d) 閏
1773-03=01 2368747 庚申(56) 1773-03-01 2368747 7.1725(0.299) *
1775-12=01 2369751 甲辰(40) 1775-12-01 2369751 12.4817(0.520) *
1786-10=01 2373708 辛丑(37) 1786-10-01 2373708 6.8232(0.284) *
1787-02-01 2373827 庚子(36) 1787-02-02 2373826 23.9621(0.998)

内田正男「宝暦暦法置閏の疑問」,天文月報66(1973),1 pp.67-68
( https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1973/pdf/19730306.pdf )
によれば、問題の定朔時刻は日の小数(/d)で表わして、それぞれ、
0.299、0.520、0.283 となっていますから、昨日の「C 方式」で、
ほぼ合っていることがわかります。

寛政暦の定朔、天保暦の定気・定朔は計算が複雑なので、文献を
分析する気になれません。今回は現代の略算式で代用しています。
従って、寛政暦行用期間中のこれ↓くらいのずれは致し方なし。

相違暦日 通日 日の干支 計算暦日 朔(計算) 定朔時刻/h(/d) 閏
1802-07-01 2379436 己巳(05) 1802-06-30 2379437 0.2414(0.010)
1806-01-01 2380736 己酉(45) 1805-12-30 2380737 0.1287(0.005)
1819-05-01 2385608 辛酉(57) 1819-04=30 2385609 0.0986(0.004)
1824-05-01 2387410 癸亥(59) 1824-04-30 2387411 0.0468(0.002)
1825-08-01 2387883 丙辰(52) 1825-08-02 2387882 23.9969(1.000)

結局、天保暦では朔閏ともずれは発生しませんでした。ただし、
『新法暦書続編』巻四の安永4年の例(天保暦始行前)では、略算式と
のずれで朔閏が相違します。また、嘉永4~5年については、中国方式
(閏11月,intercalary_span=12)、日本方式(閏2月,intercalary_span=3)
何れを適用するかで置閏が変わります。

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