インドの場合

・『リグ・ヴェーダ』( BC1500-1000?)
 太陽と月の話題はあるが惑星には関心が払われていない。
 (ただしアシュヴィン双神が金星(明けの明星と宵の明星の対)の可能性がある)

・『チャーンドーギア・ウパニシャッド』(Chāndogya Upaniṣad 8.13, BC800-500?)
 食の原因としてラーフに言及した最初の文献

・『ヴェーダ補助学としての暦法』(Lagadha著 Jyotiṣavedāṅga, 前5世紀?)
 置閏は5年2閏(62朔望月のうち2つを閏とする)。
 1/30朔望月を意味するティティと昼夜長さの比3:2が共通することから、
 バビロニアの影響が認められるとする説とそれへの反論あり。[1]
 ( http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1998/pdf/19980804c.pdf )

・『アルタ・シャーストラ』(Arthaśāstra-実利論-, BC200?)
 木星と金星に言及した最初の文献

・『マイトラーヤナ・ウパニシャッド』(Maitrāyaṇi UpanisadUpaniṣad 7.6, BC200?)
 ラーフとケートゥの両方と土星に言及した最初の文献

その後、ギリシャ天文学が流入する。流入期の文献は七曜の列挙順序などで年代推定可能。
ラーフとケートゥの意味も以前に整理したように変容していく。

・『アールヤバティーヤ』(Āryabhaṭa著, Āryabhaṭīya, AD499, 『インド天文学・数学集』に翻訳と解説収録)
・『五天文学書綱要』(Varāhamihira著, Pañcasiddhāntikā, AD550ころ)
インドが導入したギリシャの体系はプトレマイオスよりも前の体系である。
出差・エカント・球面三角法が継承されていない。

・新『スールヤ・シッダーンタ』(Sūrya-siddhānta, 後8-9世紀)
現代でも編暦に使われることがある。インドの1年は伝統的に歳差を考慮しない恒星年
だが、日の出・日の入りの計算はちゃんと歳差を考慮に入れていて「使い物」になる計算
が可能。

そして、この後もインド流に洗練されてはいくものの、このまま中世を終わってしまう。
ムガール帝国やイギリスがやってくるなどイスラーム天文学・ヨーロッパ天文学の受容も
起こるが本質[2]変わらず。

後で中国とインドを対比する際、もう一度インドに触れます。

[1] 『インド天文学・数学集』P.7
  精密科学という意味でのインド天文学は西方起源であるといってもさしつかえない。
  西方要素を取り去って残るのは伝統的宇宙論や神話的要素のみである。
 が、現時点でも言い得るか?

[2] インド流の「本質」とはなんだろう?
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本記事は、
  M.Yano‘Calendar, Astrology, and Astronomy', in “Blackwell Companion to Hinduism”,
  ed. by Gavin Flood, London, 2003, pp. 376-392.
などを参考にしました。

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