御城碁

江戸時代の囲碁や将棋は家元制で、毎年決まった時期に、将軍の上覧試合がありました。
御城碁・御城将棋というやつです。

囲碁の場合、本因坊算砂以来の伝統で剃髪[1]で対局に臨むことになっていました。

幕末の大棋士 本因坊跡目秀策との三十番碁を打った太田雄蔵は、棋力十分ながら
色男で剃髪するのがいやで、御城碁を打たなかったという逸話のある人物。
Wikipediaによれば安井家の門人で坊門ではなかった由。

石田芳夫・田村竜騎兵『遺恨試合』P.151 に、
 当時、色街ではやった遊びに拳というのがあるが、雄蔵はこれの名手として聞こえた。<中略>
 雄蔵の言い分は通り、頭も丸めず、御城碁も打たぬまま七段になった。無理が通るくらい
 雄蔵の腕前は確かだった。
とあります。

三十番碁は結局23局目の秀策先番を持碁にして打ち止めになった由。
その棋譜と解説が同書に載っています。

秀策・雄蔵ともに好人物で、秀策については秀策の奥さんのことばとして、同書P.150に
 死ぬまでに一度も、怒った顔を見たことがなかった
というほど。秀策が若死にしたのも門人のコレラを看病していて、自分も感染してしまった
ためと言います。温和な人柄の人物だったようです。当然「遺恨」などなかったのは幸いです。

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[2012-11-24 追記]
[1] 「碁打ち」は能役者などと同じく芸能技術者という位置づけで、武士ではなく
  将軍から見て“御目見え”以下の身分でした。そのため、将軍の上覧の際には
  僧形である必要があった…という説もあるようです。「将棋指し」は剃髪して
  いなかったような気もしますから、この説の真偽は保留します。

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