北京と南京

NHKスペシャル「中国文明の謎 第1集」へのコメントです。

北京と南京を支配していた政権の推移を見てみましょう。

北京はもとは幽州と呼ばれていました。
後漢末の状況は http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1151079231
を参考にして、
 公孫瓚 -> 袁紹・袁煕 -> 曹操
公孫瓚の自立は 西暦190年頃。

西晋の滅亡は西暦316年。

隋末唐初の群雄関連では、隋が西暦618年に滅んでから高開道が滅んだ624年頃まで幽州は混乱。

安史の乱(755-763)後、河朔三鎮が成立して実質的に唐の支配を外れたのを、安史の乱終結の時期と
すれば、西暦763年。

五代十国時代以降、燕雲十六州に含まれ、北宋の領土となることは遂になかった。

一方南京を見ると、

西晋が呉を滅ぼしたのが西暦280年。

隋がを滅ぼしたのが西暦589年。

南宋末臨安(杭州)の陥落と同時期に元に降ったとすると、元の支配下に入ったのは西暦1276年。
-------------------

これらの推移を総合すると、後漢が実質的に統一を失った西暦190年頃から、南宋が実質的に滅亡した
西暦1276年頃までの、約1090年弱の期間のうち、北京と南京が同じ政権下にあった期間は、

・西晋が呉を滅ぼしてから滅亡するまでの36年間(280-316)
・隋が陳を滅ぼしてから滅亡するまでの29年間(589-618)
・高開道が滅んでから安史の乱終結までの139年間(624-763) ※安史の乱の期間を除くと131年間(624-755)

だけです。これらを合計しても200年ほどにしかなりません。
残りの900年弱は分裂していたのです。分裂傾向が優勢の時代に着目した結果とはいえ、
みなさん意外に感じませんか? 中国が統一されていた期間というのは思ったほど長くないのです。

[2024-12-19 追記]
 https://www.youtube.com/watch?v=BE7Muad0MXU
 https://www.youtube.com/watch?v=JTTmeV922dw

この記事へのコメント

みよこ
2012年10月21日 23:36
北京は、元の都となるまでは、中華文明圏の北の端ギリギリの場所です。なので、北京が含まれていないことを以て統一王朝ではないとみなすのはどうかと思います。北宋が北漢を滅ぼしたとき(979年)から靖康の変(1126年)までは統一の時代とみなすべきだと思います。

ところで、岡田英弘『読む年表 中国の歴史』によれば、後漢末から三国時代にかけて、戦乱によって人口が激減し(5,000万人が500万人になった)、人のすまなくなったところに北方の異民族が移住してきて、それが新しい時代の中国人になっていったのだそうです。つまり、秦漢時代の中国人と隋唐以降の中国人は別の民族と考えたほうがよいということです。

NHKの番組をみると、夏の時代から今までずっと同じ漢民族が中国史をになっていたような印象をもってしまいそうですが、そうではないことはもっと強調されてよいと思います。
suchowan
2012年10月22日 23:11
満洲を中国東北部と呼び、東トルキスタン(=新疆:新しく領土になったところ)やチベットを不可分の領土とする視点へのコメントとして、恣意的に分裂傾向が優勢の時代に着目しましたのでご了解ください。
>戦乱によって人口が激減し(5,000万人が500万人になった)、
政権が弱体化して“把握している人口”が1/10になっただけかもしれないので微妙です。ただ、三国志を読むと中原で「人影が見えない」という記述もあり、人口が減ったことは確かでしょう。

この記事へのトラックバック