一月一日

現在の一月一日がなぜの今あるように決まったかは、結局ガイウス・ユリウス・カエサルが
ユリウス暦をはじめたときに、どのような意図で一月一日を定めたかに行き着きます。

Wikipedia英語版のユリウス暦の注釈16には、
 It is not known why he decided that 67 was the correct number of days to add. Ideler suggested
 (Handbuch der mathematischen und technischen Chronologie II 123-125) that he intended to align
 the winter solstice to a traditional date of 25 December. The number may compensate for three
 omitted intercalary months (67 = 22+23+22). It also made the distance from 1 March 46 BC,
 the original New Years Day in the Roman calendar, to 1 January 45 BC 365 days.
とあり、要するによくわからないようです。キリスト教成立以前に 25 December に相当する日に
意味があったとは考えにくい。

青木信仰『時と暦』P.81 に、H. H. Goldstine の計算した朔 紀元前45年1月2日3時50分GMTを
引用して、当初の年初を太陰暦の月初に合わせたという説を紹介しています。この説は、実際に
ありそうな話だと思います。出所は H. H. Goldstine なのでしょうか。残念ながら、先に紹介
した注釈16を読む限り、定説とはなっていないようです。

なお、年の初めが一月一日とは必ずしも限りません。これについては、以前にwhen.exe の
取説に書きましたので、こちらをご覧ください。

ローマ時代の暦については、Wikipedia英語版の参考リンクに挙がっていた、
 http://www.tyndalehouse.com/Egypt/ptolemies/chron/roman/chron_rom_intro_fr.htm
が一番詳しいのでしょうか? 今後の参考のためURLを書いておきます。

この記事へのコメント

みよこ
2012年10月21日 23:33
> キリスト教成立以前に 25 December に相当する日に意味があったとは考えにくい。

『現代こよみ読み解き事典』(岡田芳朗、阿久根末忠 編著)のヌマ暦の説明に「一年はフェブルアリウスの23日に終わると考えられていた。それはこの日がテルミナリア祭で、この日の後はマルチウスの朔日前何日と数えられる習慣であったことと、2年ごとに閏月メルケドニウスが23日と24日の間に挿入されることに原因する」という記述があります。

ここから類推して、ローマ人にはデケンベル(12月)は24日あるいは25日で終わるという感覚があったとは考えられないでしょうか?(デケンベルは31日まであるので、フェブルアリウスでは23日である終わりの日が1、2日ずれる。イディスが小の月では13日で、大の月で15日であるように)

カエサルの中では一年は冬至である12月25日から始まる(または12月25日におわる)という感覚があったのかもしれません。
suchowan
2012年10月22日 23:02
>ここから類推して、ローマ人にはデケンベル(12月)は24日あるいは25日で終わるという感覚があったとは考えられないでしょうか?
その可能性はあります。この記事を書くとき私も考えたのですが、結局あえて言及しないことにしました。『こよみ読み解き事典』に、「この日の後はマルチウスの朔日前何日と数えられる」とありますが、ご存じのとおりこれは不正確で「この日の*前*」もイドゥスより後は同じくマルチウスの朔日前何日と数えるからです。
thomas
2012年10月30日 22:37
こんにちは。thomasと申します。コメントとしては「はじめまして」になりますが、
随分昔から、貴サイトにはお世話になっております。
このエントリーの問題ですが、私には理由は自明のように思えてなりません。
まさにwhen.exeで計算して確認したことですが、
「ユリウス暦紀元前45年januarius1日は、中華暦初元3年11月29日である。」
これで、理由は言い尽くされているのではないでしょうか。
初元3年11月は小の月ですから、1日ずれているだけで、これはもはや誤差の範囲です。
要するに、カエサルは、「紀元前45年の冬至後の最初の朔日」を以てユリウス暦に移行し、
ここで、太陽黄経に対する関係が固定され、月齢との関係が切断された。
これ以外の説明方法は見つかりませんし、どの文献になくても、これで十分自明だと思われます。
傍証としては、annus confusionisの日数が445日であり、
445/29.5≒15で、ほぼ陰暦の朔望周期で割り切れること(当たり前と言えば当たり前ですが)。

ただ、annus confusionisにおいて、「90日ずれていた」と理解されていたことは、重要かもしれません。
これは、ユリウス暦移行前直近のローマ暦において、
「januariusの月初は、冬至後の最初の新月である」と理解されていたらしいことを示唆します。
すでにmartius基準ではありません。日数の数字が合わなくなってしまうからです。
suchowan
2012年11月01日 13:28
thomasさん
本文でも書きましたように「年初を朔にあわせた」という説は私も有力だと思います。自明とまで言えるかどうかは、人によって評価が変わるでしょう。ご指摘で触発された(別の)話題がありますので別記事の形でアップロードしようと思います。

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