萩藩の報時

遅刻の誕生』に森本徹「近世の地域社会における時間」という論文があり、題名からは
分かりにくいですが、萩藩の時刻制度について解説しています。この分野では、
浦井祥子『江戸の時刻と時の鐘』という、江戸市中を扱った研究がありますが、意外に
研究の連携がとれていないように思います。

萩藩では、
 1) 城内時内櫓の時太鼓
 2) 城下真宗寺院「端の坊」の時鐘
が報時に使われていた由。前者は定香盤で計った時刻を使っていたが太鼓をたたく時刻は
不定時法による。後者の時刻の決め方は不明で、前者と後者は連動していなかった模様です。
城の周辺の農村にも時鐘がありますが、江戸のように連動しいてたか否かは不明。

おもしろいのが、下記の明暦3年(1657年)の藩庁の指示(『遅刻の誕生』P.85)
 昼夜の時取りや上刻・下刻の用い様は所によってさまざまではあるが、朝の「ほのぼの時分」
 を卯ノ下刻とし、それを基準に暮相の少し前、申の下刻までで時刻を区切っている。
つまり、十二辰刻を不定時法で使っているのです。

『江戸の時刻と時の鐘』P.182にも(引用は省略しますが)、老中と目付で十二辰刻(不定時法)
の解釈にずれがあった事例が紹介されています。

暦法に詳しいごく限られた人々以外の、公私問わずほとんどの人々にとって、十二辰刻も
不定時法で用いられていたのではないでしょうか。

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[2024-05-17 追記] 枚方・すずめさんからの情報です。
 >萩の時の鐘については山口県文書館の資料がありました。
 文書館 歴史ノオト⑤「時の鐘」

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