二十四節気と歳中置閏

二十四節気は、
   春      夏      秋      冬
 1:立春 315゜ 7:立夏 45゜ 13:立秋 135゜ 19:立冬 225゜
 2:雨水 330゜ 8:小満 60゜ 14:処暑 150゜ 20:小雪 240゜
 3:啓蟄 345゜ 9:芒種 75゜ 15:白露 165゜ 21:大雪 255゜
 4:春分  0゜ 10:夏至 90゜ 16:秋分 180゜ 22:冬至 270゜
 5:清明 15゜ 11:小暑 105゜ 17:寒露 195゜ 23:小寒 285゜
 6:穀雨 30゜ 12:大暑 120゜ 18:霜降 210゜ 24:大寒 300゜
のように配当されます。[1]

Wikipedia によれば、二十四節気すべてが列挙される最初の文献は『淮南子[2]である由。
現在に残る淮南子では啓蟄を驚蟄と書いていますが、これは前漢の孝景帝劉啓の諱を避けたため。
また、日本でも用いられた儀鳳暦などでは、啓蟄と雨水の配置が後の暦と逆になっています。

二十四節気は特定の時期に一度に成立したものではなく、おそらく二至二分などは、
殷代などごく初期に成立し、最終的には淮南子に見るように前漢の初めくらいに
出そろったと思われます。そして、二十四節気が出そろったことで太初暦で採用した
無中気月置閏の歳中置閏法が可能になったのでしょう。[3]

[1] 角度は定気の場合に対応する太陽黄経
[2] 淮南子の編者である淮南王劉安呉楚七国の乱に加担しかけ、最終的に反乱の計画が
  露見して自害した人物で孝景帝との関係は微妙です。
[3] 新城新蔵『東洋天文學史研究』P.243~の「文公元年閏三月の問題」が採り上げられて以降、
  春秋時代の置閏にはさまざまな見解があるようです。ちなみに『新編中国三千年暦日検索表』
  では当該年は歳終置閏です。個人的には、顓頊暦(~BC104)が歳終置閏であることからすると、
  前7世紀の段階で歳中置閏が行われていたとは考えにくいのですが、いかがなものでしょうか?

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二十四節気全般に関連するその他の記事は、下記の5件です。
 暦の会第366回例会資料 - 時の記念日はいつか?
 節月と没日
 暦文協総会
 聖武天皇の命日、1日間違えた
 建国記念の日

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