太玄暦
太玄暦は漢の揚雄(前53-後18)が考案した暦法で、その諸元は太初暦と同じです。
興味深いのは下図のような体系を提案していることです。[1]
易の卦は2進の体系でしたが、この体系は3進の体系になっています。[2]
八十一首 - 中(1), …, 養(81)
七百二十九賛 - 八十一首のそれぞれに対して下下(初一),下中(次二),下上(次三),…,上上(上九)
七百二十九賛に特別な踦賛と嬴賛を加えて合計731賛とし、これを暦の半日(昼・夜)に対応させます。
中初一(1), …, 養上九(729), 踦(730), 嬴(731)
中初一(1)は必ず冬至の瞬間を含むようにし、嬴(731)は“閏”半日扱いで必要な場合のみ追加します。
中初一(1)は昼の半日のことも夜の半日のこともあります。
おそらく一年の長さを表すのに 36×半日[3]を用いた、これまでで唯一の暦法だと思います。
[1] この図は川原秀城『中国の科学思想』P.199の図をもとにして作成しました。
[2] 漢書 揚雄伝に曰く「玄首四重者,非卦也,数也。其用自天元推一昼一夜陰陽度律暦之紀,九九大運,
與天終始。故玄三方、九州、二十七部、八十一家、二百四十三表、七百二十九賛…」
[3] 「回帰年と半日の綺麗で対称的な関係」もご覧ください。
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たまたま『東方學會報』No.102を読む機会がありました。下記のようなことが書いてあり共感しました。
原理と現象との間の関係を象数的に理解するのは<中略>、漢代の学問に普遍的な姿勢であった<中略>
漢の人々は、「天」と人間世界との間の関係をメカニカルなものであるととらえ、それを数理的に
把握しようとして、無限につながる歴史的時間をも含めた、壮大な宇宙論が形成された
興味深いのは下図のような体系を提案していることです。[1]
易の卦は2進の体系でしたが、この体系は3進の体系になっています。[2]
八十一首 - 中(1), …, 養(81)
七百二十九賛 - 八十一首のそれぞれに対して下下(初一),下中(次二),下上(次三),…,上上(上九)
七百二十九賛に特別な踦賛と嬴賛を加えて合計731賛とし、これを暦の半日(昼・夜)に対応させます。
中初一(1), …, 養上九(729), 踦(730), 嬴(731)
中初一(1)は必ず冬至の瞬間を含むようにし、嬴(731)は“閏”半日扱いで必要な場合のみ追加します。
中初一(1)は昼の半日のことも夜の半日のこともあります。
おそらく一年の長さを表すのに 36×半日[3]を用いた、これまでで唯一の暦法だと思います。
[1] この図は川原秀城『中国の科学思想』P.199の図をもとにして作成しました。
[2] 漢書 揚雄伝に曰く「玄首四重者,非卦也,数也。其用自天元推一昼一夜陰陽度律暦之紀,九九大運,
與天終始。故玄三方、九州、二十七部、八十一家、二百四十三表、七百二十九賛…」
[3] 「回帰年と半日の綺麗で対称的な関係」もご覧ください。
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たまたま『東方學會報』No.102を読む機会がありました。下記のようなことが書いてあり共感しました。
原理と現象との間の関係を象数的に理解するのは<中略>、漢代の学問に普遍的な姿勢であった<中略>
漢の人々は、「天」と人間世界との間の関係をメカニカルなものであるととらえ、それを数理的に
把握しようとして、無限につながる歴史的時間をも含めた、壮大な宇宙論が形成された

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