2033年問題
いわゆる2033年問題で問題となるのは、いわゆる「天保暦の置閏法」の
>暦月中冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、
>夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とす。
のため、欠月が発生する点と、
>閏は中気を含まざる暦月に置く。
>中気を含まざる暦月必ずしもみな閏月とならず。
で、閏月が一意に決まらない点です。
これも、現代日本人が、ユークリッドの『原論』に遡る西洋数学の
「定義」の概念になじんでいるため、かえって当時の文化状況が理解
できなくなっているのではないかと思います。
公式なのは置閏法自体より実際の朔閏配当です。置閏法自体は作暦者が
理解しておればよく、西洋数学の「定義」(what)を与える必要はありません。
これらの記述は、西洋数学の「定義」(what)として理解するのではなく、
あくまで作暦者に対する「作業指示」(how)と理解するのが妥当です。
これらは閏の置き方の「作業指示」なので下記のように読めばよい。
閏は、
>冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、
>夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とす
るように、
>中気を含まざる暦月に置く。
江戸時代の作暦者は、まず作暦する前年の冬至(天正冬至)[*]の日付を求め、
それを基準にして、その後一年分の暦を作成していました。これは、
当時の人々にとっては当たり前のことなので、いちいち書かれていません。
当たり前のことを書かないのが「作業指示」と「定義」の大きな違いです。
(出典は忘れましたが、江戸時代の人がユークリッドの『原論』を読んで、
「こんなの当たり前じゃないか! 西洋の数学は遅れている」という、我々から
見れば見当はずれの感想を述べたという話を読んだことがあります)
天正冬至を含む朔望月と次の天正冬至を含む朔望月の間隔が12か月の場合、
その間のすべての朔望月の月番号が閏なしで確定してしまいます。この場合、
閏を置くための「作業指示」の出番がないのは当たり前です[**]。
>中気を含まざる暦月必ずしもみな閏月とならず。
これも、明治改暦の布告で、明治7年から明治9年の3年間のうち、どの年を
閏年にするか書かれなかったのと類似しています。閏月の候補が複数ある
場合、そのうちどれを実際に閏月とするかは、頒暦業者に根本御暦を内示
するまでに、毎年都度判断で決定すればよいことだったからです。あくまで
公式なのは置閏法自体より実際の朔閏配当だったのです。
もともと西洋数学流の「定義」(what)を意図していない「作業指示」(how)を、
「定義」(what)として解釈すれば不備になるのは仕方のないことです。
[*]「天正」は天の正月(子<ネ>月=11月)を意味します。天正・地正・人正で
三正です。
[**]論理的には、天正冬至を含む朔望月と次の天正冬至を含む朔望月の間隔が
13か月の場合でも、その期間内に欠月が発生することは有り得ます。ただし、
略算式で今後3000年ほど計算してみた範囲では、実際には、そのようなケース
は起こりませんでした。
-------
[2013-08-08 追記]
こちら↓もごらんください
『暦法及時法』の置閏法 ― 進展
『暦法及時法』の置閏法 ― 進展その2
『暦法及時法』の置閏法 ― 進展その3
>暦月中冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、
>夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とす。
のため、欠月が発生する点と、
>閏は中気を含まざる暦月に置く。
>中気を含まざる暦月必ずしもみな閏月とならず。
で、閏月が一意に決まらない点です。
これも、現代日本人が、ユークリッドの『原論』に遡る西洋数学の
「定義」の概念になじんでいるため、かえって当時の文化状況が理解
できなくなっているのではないかと思います。
公式なのは置閏法自体より実際の朔閏配当です。置閏法自体は作暦者が
理解しておればよく、西洋数学の「定義」(what)を与える必要はありません。
これらの記述は、西洋数学の「定義」(what)として理解するのではなく、
あくまで作暦者に対する「作業指示」(how)と理解するのが妥当です。
これらは閏の置き方の「作業指示」なので下記のように読めばよい。
閏は、
>冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、
>夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とす
るように、
>中気を含まざる暦月に置く。
江戸時代の作暦者は、まず作暦する前年の冬至(天正冬至)[*]の日付を求め、
それを基準にして、その後一年分の暦を作成していました。これは、
当時の人々にとっては当たり前のことなので、いちいち書かれていません。
当たり前のことを書かないのが「作業指示」と「定義」の大きな違いです。
(出典は忘れましたが、江戸時代の人がユークリッドの『原論』を読んで、
「こんなの当たり前じゃないか! 西洋の数学は遅れている」という、我々から
見れば見当はずれの感想を述べたという話を読んだことがあります)
天正冬至を含む朔望月と次の天正冬至を含む朔望月の間隔が12か月の場合、
その間のすべての朔望月の月番号が閏なしで確定してしまいます。この場合、
閏を置くための「作業指示」の出番がないのは当たり前です[**]。
>中気を含まざる暦月必ずしもみな閏月とならず。
これも、明治改暦の布告で、明治7年から明治9年の3年間のうち、どの年を
閏年にするか書かれなかったのと類似しています。閏月の候補が複数ある
場合、そのうちどれを実際に閏月とするかは、頒暦業者に根本御暦を内示
するまでに、毎年都度判断で決定すればよいことだったからです。あくまで
公式なのは置閏法自体より実際の朔閏配当だったのです。
もともと西洋数学流の「定義」(what)を意図していない「作業指示」(how)を、
「定義」(what)として解釈すれば不備になるのは仕方のないことです。
[*]「天正」は天の正月(子<ネ>月=11月)を意味します。天正・地正・人正で
三正です。
[**]論理的には、天正冬至を含む朔望月と次の天正冬至を含む朔望月の間隔が
13か月の場合でも、その期間内に欠月が発生することは有り得ます。ただし、
略算式で今後3000年ほど計算してみた範囲では、実際には、そのようなケース
は起こりませんでした。
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[2013-08-08 追記]
こちら↓もごらんください
『暦法及時法』の置閏法 ― 進展
『暦法及時法』の置閏法 ― 進展その2
『暦法及時法』の置閏法 ― 進展その3
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